「はかなく」と「はかなし」の和歌
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<はかなくて> 「はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば 花にもの思ふ春ぞ経にける」 式子内親王 「はかなくてこよい明けなばゆくとしの 思ひ出もなき春にや会はなむ」 源 実朝 <はかなしや> 「儚しやさても幾夜か行く水に 数かき侘ぶる鴛の独寝」 飛鳥井 雅経 「はかなしや枕さだめぬうたたねに ほのかにかよふ夢のかよひ路」 式子内親王 「はかなしや夢もほどなき夏の夜の 寝覚めばかりのわすれがたみは」 俊成女 <はかなしな> 「はかなしな夢に夢見しかけらふの それも絶えぬる中の契りは」 藤原 定家 「儚い」という同じ言葉を枕に 五人の鎌倉時代初期の歌人が 歌を詠じています 式子内親王は 定家との恋愛を 後世に噂された閨秀歌人 そして俊成女は 俊成の孫で養女 すなわち 定家の姪 また雅経は 定家と実朝の間を 取り持ち 雅経・定家ともに 後鳥羽院歌壇の 中心人物でした 新宿御苑 雨の桜