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「はかなく」と「はかなし」の和歌

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  <はかなくて> 「はかなくて過ぎにしかたをかぞふれば   花にもの思ふ春ぞ経にける」  式子内親王 「はかなくてこよい明けなばゆくとしの  思ひ出もなき春にや会はなむ」  源 実朝 <はかなしや> 「儚しやさても幾夜か行く水に  数かき侘ぶる鴛の独寝」  飛鳥井 雅経 「はかなしや枕さだめぬうたたねに  ほのかにかよふ夢のかよひ路」  式子内親王 「はかなしや夢もほどなき夏の夜の  寝覚めばかりのわすれがたみは」  俊成女 <はかなしな> 「はかなしな夢に夢見しかけらふの  それも絶えぬる中の契りは」  藤原 定家   「儚い」という同じ言葉を枕に    五人の鎌倉時代初期の歌人が    歌を詠じています    式子内親王は 定家との恋愛を    後世に噂された閨秀歌人    そして俊成女は 俊成の孫で養女    すなわち 定家の姪    また雅経は 定家と実朝の間を    取り持ち    雅経・定家ともに     後鳥羽院歌壇の 中心人物でした 新宿御苑 雨の桜

「美しい花がある」 他

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  「美しい花がある  花が美しいのではない」       小林秀雄   「不思議なことに美しいものは、  印象が薄れるどころか、私の心の中で、  ますます大きく育つかのようです」       「たいせつなのは、  ほんとうにうつくしいものを  見つけて知ることね」 「善悪は一枚の紙の裏表にすぎない。 幸福といい不幸というも」 「「老木に花の咲かんがごとし」 という形容を世阿弥はたびたび用いて、 老人になってからの芸がいかに大切か、 人生の最後に咲いた花こそ、 「まことの花」であると 繰り返し説いています」 「私が欲しいものは、 ” 語り合えるもの ” だった」 「知識や教養などは自己を磨く道具にすぎず、 極論すれば、これらを道具の一つとして、 一心不乱に自己を高めて行く以外、 人間としてはやるべき仕事はない といってもいい」 「一期一会とは、私流に解釈すれば、 結局、自分自身に出会うことである (他人の中における自分に)」 「物心一如」     上記  白洲正子 『行雲抄』 「見る処花にあらずといふ事なし。  思ふ所月にあらずといふ事なし」    芭蕉 酔芙蓉

「小夜の中山」

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  「年たけて また越ゆべしと 思ひきや  命なりけり 小夜の中山    西行 新古今和歌集 九八七 」 ここは 掛川 小夜の中山 東海道中の 難所のひとつ そして 歌枕の地 ここを越えれば 異郷の地 吾妻の国 振り返れば 四十年振りなのだ この 小夜の中山を 越すのは 鳥羽院にお仕えした 北面の武士の頃 中宮 待賢門院璋子さまの  みめ麗しきお姿 出家と 陸奥・出羽への行脚 中宮さまの 法金剛院での お隠れ 高野山での きびしき修験道 中宮さまの御子 崇徳院の    おいたわしい最期 讃岐の国 善通寺での 慰霊       思えば はるけくも    この無常の世の中を 歩んで きたものだ 毎春の 桜花を たよりとして そうして 七十路のこの歳で 東大寺の 重源殿の頼みで 大仏再建のため 東国へ    砂金勧請の旅 ああ こうして もう一度 この小夜の中山の地を 踏もうとは 変わらぬ 山並みと  はるかなる 東の国 この与えられた 余命を  尽くそう 私の命を この天地と 同化させて 残りの道を 歩むのだ 小夜の中山 夜泣石