「衣通姫(そとおりひめ)」
軽太子(かるのひつぎのみこ)軽大郎女
(おおいらつめ)に奸(たは)く。この
故にその太子を伊予の湯に流す。この時
に衣通王(そとおりのおおきみ)、恋慕
(しの)ひ堪(あ)へずして追い往(ゆ)
くときに、歌ひて曰く
「君が行く日(け) 長くなりぬ
やまたづの
迎かへを行かむ 待つには待たじ
軽大郎女 」
第十九代允恭天皇の皇太子木梨軽皇子
(きなしかるのみこ)は容貌佳麗
(かたちきらきら)しかったが、
同母妹(いろも)で艶妙(かほよ)しの
軽大娘皇女(かるのおおいらつめの
ひめみこ)と親々相奸(はらからどちたは)
けたるゆえ、伊予の湯(道後温泉)に
流された。
この歌はまた、磐姫皇后(いわのひめの
おおきみ)が、仁徳天皇を想って詠ったとも
言われている。
「君が行き日 長くなりぬ 山尋ね
迎えか行かむ 待ちにか待たむ
磐姫皇后 」
軽大郎女は、身体の美しさが、
衣を通して表れることから、衣通姫
と呼ばれた。
「その身の光、衣より通り出づればなり」古事記
「その艶(にほ)へる色は、衣を徹(とほ)
りて晃(て)れり」
日本書紀
小石川植物園 ソメイヨシノ衣通姫
コメント
コメントを投稿