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「 雨 過 天 晴 」

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 「 雨 過 天 晴 」  -雨が過ぎた直後の、   空の青さのような   青磁の色-  清冽な言葉で、響きも晴朗としています。  この言葉は、陶磁器の美しさを表現する際に  使われるようです。 「 秘 色 (ひそく)」  この青磁のうち、  天子(中国の皇帝)に供する器にのみ、  使われるといいます。  シェークスピアは「マクベス」で、  「どんな荒れ狂う嵐の日も、   時は経つのだ」と書いています。  「 雨 過 天 晴 」の言葉も、  同じように読むことができるのでは  ありますまいか。   八稜浄水秘色青磁瓶(法門寺地宮出土)

「心に火を灯す」

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  「私が言いたいことは、誰でも「心に灯をともす」ことを強く意識して生きるべきだということである。「心に灯をともして」生きる人と、何ら燃えるものもなく、ただ毎日を無為に過ごす人の間には、何かを創造しようと努力する人間とそうでない人間の差がある。この差は想像以上に大きい。」 これは中谷 巌氏の文章です。 「心に火を灯す」と言う言葉自体、昔の「道徳」の時間の言葉のようで、ある意味で忘れられているような言葉です。 しかし、こうして中谷 巌氏の文章を読んでいると、こうした言い旧されてはいるがいつまでも心に残る言葉こそを、今我々は胸に刻まなければという思いがします。 オランダ キューケンホフ

「夢の上にかかる銀河」

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  「お米は茶器を引いて台所へ出た。  夫婦はそれぎり話を切り上げて、  また床を延べて寝た。  夢の上に高い銀河(あまのがわ)が  涼しく懸かった。」        夏目漱石 「門」 東京の市井の一隅、崖下の借家で、 過去の不倫の罪におびえながらも、 身と心を寄せ合って今の小さな幸福を守る 宗助・お米夫婦の姿     芳賀 徹  「詩歌の森へ」 「別るるや 夢一筋の 天の川             夏目漱石 」    かっての東京の市井の一隅には    かように夜の夢の上に    高く銀河(あまのがわ)が    懸かるごとき    美しい夜もあったのである    いまやその夢は    いずくへ

「埋れ木」

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「埋木となりはてぬれど山桜   惜しむ心はくちずもあるかな」       藤原 俊成 「埋れ木の花さく事もなかりしに   身のなる果ぞ悲しかりける」        源三位 頼政             「世の中をよそに見つつもうもれ木の   埋もれておらむ 心なき身は」       井伊 直弼   井伊直弼の彦根「埋れ木舎(うもれぎのや)」   埋もれ木の舎

「二人行けど」

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「二人行けど 行き過ぎがたき 秋山を         いかにか君が 独り越ゆらむ」         大伯皇女(おおくのひめみこ)          万葉集  105  はるばると この伊勢の斎宮まで  わたくしを 訪(おとの)うてくれた  弟背(いろせ)  今朝は 大倭(やまと)へと   一人 旅立つ  鈴鹿峠あたりは   秋色あざやかであろうが  二人で 越えるのさへ 寂しいのに  弟背は おひとりで 秋山をゆく  その向こうの 大倭に  待つものを 知りながら  父 大海人(おおあま)の  王(おおきみ)が   ご存命であれば  こうしたことには   ならなかったであろうに  大王 大海人の ご信任篤く  「状貌魁梧、器宇峻遠」  「詩賦の興り、大津より始れり」  とまで いわれた弟背  だが 叔母   鵜野讃良皇后(うののささらの  おおきさき)は  草壁皇子(くさかべのみこ)   擁立のため  弟背 大津皇子を  なきものにせん としている  ああ 今生のわかれ  弟背に ふたたび  見(まみ)えることは   もう かなわぬ夢 二上山の夕景  

「阿留辺幾夜宇和」

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  人は阿留辺幾夜宇和の 七文字を保つべきなり。 僧は僧のあるべきやう。 俗は俗のあるべきやう。 このあるべきやうに背く故に 一切悪しきなり。  (栂尾明恵上人遺訓) 「あるべきようわ」と「あるべきように」との違いがあるみたいですが、要するにその与えられた境遇に即して、その中であるべき自分を見つけて生きなさいということのようです。 臨済義玄の「随所に主となれば、立つ処みな真なり」と、共通するとこがあります。 *白洲正子の「明恵上人」ご参照 明恵上人

「星ひとつ」

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  「星ひとつ 命燃えつつ 流れたり               虚子」   大空の青暗き円屋根に、  燦然と光り輝く夥しい星の数々。  我等人間は、  とても星の数には入らねど、  少しでも輝いて生きたい。  鮮烈な光芒を発して燃え尽きる星に  及ばずとも、  せめて燃え上がることのできる、  命とも呼べるものを胸に抱いて、  生きてゆきたい。