投稿

1月 30, 2021の投稿を表示しています

「衣通姫(そとおりひめ)」

イメージ
 軽太子(かるのひつぎのみこ)軽大郎女 (おおいらつめ)に奸(たは)く。この 故にその太子を伊予の湯に流す。この時 に衣通王(そとおりのおおきみ)、恋慕 (しの)ひ堪(あ)へずして追い往(ゆ) くときに、歌ひて曰く 「君が行く日(け) 長くなりぬ  やまたづの  迎かへを行かむ 待つには待たじ          軽大郎女 」  第十九代允恭天皇の皇太子木梨軽皇子 (きなしかるのみこ)は容貌佳麗 (かたちきらきら)しかったが、 同母妹(いろも)で艶妙(かほよ)しの 軽大娘皇女(かるのおおいらつめの ひめみこ)と親々相奸(はらからどちたは) けたるゆえ、伊予の湯(道後温泉)に 流された。 この歌はまた、磐姫皇后(いわのひめの おおきみ)が、仁徳天皇を想って詠ったとも 言われている。 「君が行き日 長くなりぬ 山尋ね   迎えか行かむ 待ちにか待たむ           磐姫皇后 」  軽大郎女は、身体の美しさが、 衣を通して表れることから、衣通姫 と呼ばれた。 「その身の光、衣より通り出づればなり」              古事記 「その艶(にほ)へる色は、衣を徹(とほ)  りて晃(て)れり」             日本書紀 小石川植物園 ソメイヨシノ衣通姫       

「人間をつくる」

イメージ
  「人間をつくると言うこと以外のところに、  人間としての仕事はないということ」  白洲正子(一九四八年)   「たしなみについて」   人間をつくる 自らの人間をつくり 伴侶の人間をつくり  子供の人間をつくり そうして 自分の 身の回りの人間をつくる だが 我々凡人には 自分以外の  人間をつくることは 多分 不可能であろう ならば 為すことは ただひとつ 自分の人間を つくること そうなのだろう 人間は 何年もかかって  このことに気づくのだ しかも ほとんど  人生の 終わりに近づいた頃に しかし 白洲正子は  これに四十歳少し前に 気づいた これが 彼女が 六十歳以降に  大きく 花開いた その根本とも いえよう われらも これを真似び 倣い  白洲正子に 導かれて 歩もう