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「その貫通するもの」

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「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」                芭蕉 『笈の小文』 川端康成集で印象的なのは、いずれも「あなたはいまどこにおいでなのでしょうか」で始まる『反橋』『しぐれ』『住吉』の小編三編である。この三編に通底しているものは、『住吉物語』や和歌などの王朝文化であり、東山文化、連歌・俳諧や文人画であるが、「近代の魂の病から出発したような」スウチンそしてアルブレヒト・デュウラアという西洋画も取り上げている。この三編に取り上げられていることは、ノーベル文学賞記念講演の『美しい日本の私』の基礎になっていると思うが、その講演内容には日本の文化にとって重要な位置を占めている芭蕉の名前がないのは不思議である。一方『しぐれ』には芭蕉の上記の文章が引用されている。   「カーニュの風景」 スウチン

『美しい日本の私-その序説』

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 春は花夏ほととぎす秋は月   冬雪冴へて涼しかりけり         道元 私が社会人となった 昭和四三年(一九六八年)の一二月に、川端康成はノーベル賞の受賞講演会で『美しい日本の私-その序説』( Japan, the Beautiful, and Myself )を講話している。 大東亜戦争での大敗後の国の復興が成り、高度成長時代が始まりだした時期に、日本古来の美と文化と伝統を世界に向けて発信することは大きな意義のあることであった。 講話の冒頭に道元禅師の和歌を載せたことも、次のことを意識してこその故であった。すなわち、日本人は四季折々の雪月花の美に触れながら、自然と融合して「もののあはれ」を感じながら生きるという死生観を有していること。そして日本人の無常観とは虚無ということではなく、禅の無一物つまり無尽蔵につながるものであることを、強く印象付けるものとなっている。

「寒 梅」

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 庭上一寒梅 笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁 庭上の一寒梅 笑って風雪を侵して開く 争はず また力(つと)めず 自ずから百花の魁を占む      新島 襄 庭先の寒梅が 一輪花開いた 風雪をものともせず 何時もの季節通りに 笑うかのごとく咲いた 他の樹木と争うでなく そして力むのでもなく 泰然と他の花全ての 魁として   当たり前のように咲いた 我が家の枝垂れ紅梅