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1月 19, 2021の投稿を表示しています

「文章の気合」

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  「美」ということについて、これほど直截に、さわやかに語った人が他にあるだろうか。白洲さんの文章は、練達の剣士の剣舞を見ているような味があった。風に揺れる花のようだが、近寄ると切られるという気合がこもっていた。日本のすべての人に読んでいただきたい書物である。                        河合隼雄 白洲正子の文章には、独特の切れ味がある。 白洲正子にインタビューを受けるのを怖がったまやかしものの人間にとっては、その文章で本質を突かれれば、満身創痍にならざるを得ない、そういった切れ味である。 それが我々第三者には、極めて小気味がよいものとして感じられる。 そこには本質を抉り出そうとする気合が篭っている。 作文そのものが、いってみれば薩摩示現流の真剣勝負なのである。 武相荘の書斎

「星となる夜」

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ああ こんな夜に 清い月の光で わたしは粉々に砕かれる 心には少しの悩みもなく 淡々とした気持ちで わたしは無限の彼方へ引きづり込まれる 思考の許されない彼方で わたしは小さな花火の如く 夜空に閃きちりばめられる 永遠に星となって アンドロメダ座

「人生無上の楽しみ」

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  「心許した友と、いささかの酒を含みながら、人物を論じ、古典を論じ、古典を語るのは、人生無上の楽しみの一つである。」              伊藤 肇 『帝王学ノート』     「酒 知己ニ逢ヘバ 千 鐘 モ少ナシ    話 機ニ投ゼザレバ 半句モ多シ」             明末 『琵琶記』              安岡正篤の本は難しいけれど、その弟子だった伊藤肇の『帝王学ノート』には、感銘を受けました。 安岡先生と囲炉裏を囲んで、その囲炉裏に薔薇の香木を焚いて、雲遮月の話しをするところが書かれていました。 雲遮月とは徒然草の「月はくまなきものを見るものかは」ということです。 こういう会を、人生に一度でももてれば、幸せそのものでしょう。 「至福の時」というのは、我々凡人は悦楽の極みの時に感じるけど、本当に長く心の中に残る「至福の時」というのは、こういう清談のときかもしれません。 祇園 白川橋

「朧月夜の 花の光に」

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  「この世には 忘れぬ春の おもかげよ           朧月夜の 花の光に                式子内親王 」    月影の 朧な庭に    糸桜が 爛漫と咲き乱れ    花明かりは 我が白絹さえ    薄紅色に 染めて行く    わたくしの あのお方への想いも    淡く紅(くれない)づいていたのに    あのお方は 御法(みのり)の道へと    静かに 歩み去ってゆかれる    わたくしに 残されたのは    この朧月夜と 花明かり    あのお方の 面影が    まぶたに 浮かび    忘れえぬ わたくしの秘めた恋    法然上人どの... 小石川後楽園の枝垂れ桜(入口)

「西行の花月一如」

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 西行の出家の動機に関しては、色々な説があるそうであるが大きく分ければ次の三つとなる。 1)純粋に仏教への帰依の心によるもの 藤原頼長の日記『台記』にも、「家富み年若く、心愁ひ無きも、遂に以て遁世せり」と記述されている。 2)「無常感」が出家の原因 保元の乱に見られるような世上の出来事をはかなみその「無常感」が出家の原因となったと説く説話も多く存在している。実際そのような無常感を詠んだ歌が『山家集』には何首か収められている。 3)高貴な女性との恋 璋子との恋がなぜ西行の発心の起こりとなったかであるが、「申すも恐れある」高貴な女性に「あこぎの浦ぞ」とたしなめられたからと言われている。「あこぎの浦ぞ」とは    伊勢の海あこぎが浦に引く網も      たびかさなれば人もこそ知れ という古歌によっており、逢うことが重なればやがて人のうわさにものぼるであろう、とたしなめられたというわけである。璋子には他にもいくつかの浮名が伝わっている。恋多き女性であるとともに、西行が彼女の面影を曳きずり、多くの美しい恋歌を残しているところからも、魅力的な美しい女性であったことは想像に難くない。 西行の彼女を詠んだといわれる歌を二首。 知らざりき雲居のよそに見し月の       影を袂に宿すべしとは おもかげの忘らるまじき別れかな       名残りを人の月にとどめて     西行の出家はこれらの三つの説のどれかというより、三つの絡み合ったものであろうと思われるのである。 西行の出家がなぜかくまで後世の学者の興味をひくのか。 それは一般の出家もしくは隠遁僧とは質的に異なる、彼の類稀なる生き方とその生き方から生まれた和歌の数々が、我々現代人の心を捉えて離さないからであろう。 世俗を離れながらも、和歌に関しては極めて世俗的な欲望も持ちつづけた西行。 厳しい修験業を体験しながらも、僧侶としての悟りの境地は求めず、あくまでも自然体に生きた西行。 花月一如の世界に、仏教を越えた宗教的な恍惚の空間を作り上げた西行。 技巧を凝らして虚構の美の世界を紡ぎ続けた定家を始めとする新古今和歌壇をよそ目に見て、平易な言葉で死生観をそして桜と月を歌い、人の心に沁み入ってくる西行。 そうした西行の和歌の世界の「美」と「拡がり」と「深み」