「木曽殿」
![イメージ](https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiTDFhKxMZiAccFJmFRqq3j_h-Mjb7v7j5WInasnlK0AU5-QrpvVBI2TJDmD3JUN7PSu9IBg3nmLbqlSNWD1ZUamqGSYG7ALpJr6w5aRJGgsoLMD4AdRzFciDyP1b0JjvLKApGNKfddwqfc/w411-h523/%25E7%25BE%25A9%25E4%25BB%25B2%25E5%25AF%25BA.jpg)
義仲の寝覚めの山か月悲し 芭蕉 木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふ そして鎌倉勢の矢に倒れる 義仲のどこに魅かれるかといえば 誰しもが最後は一人だ という感慨ではないか 葉室 麟 『京都再見』 大坂の御堂前で亡くなった芭蕉が 指定した墓所は膳所の義仲寺であった 膳所の義仲寺を訪ねたが 何故義仲寺なのかは 判然としなかった やはり葉室麟の言うように 誰しもが最期はひとりだ との思いからであろうか 「無量寿経」に 「独生独死独去独来」とある