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1月 27, 2021の投稿を表示しています

「現世浄土」

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  「源氏物語で仏教思想はもちろんあるが、その根本思想は現世浄土ではないか。それは平安王朝の精神であった」        三島由紀夫 道長は権力とお金で、浄土を現世に持ってこようとした。 理想社会と美の極地を、現世のものとしようとした。 紫式部が権力ではなく言葉で編み出そうとした現世浄土の最高の境地が、「胡蝶」の巻あたりではないか。 三島由紀夫は、このように源氏物語を解釈していた。 道長は今の岡崎あたりに京極御堂と呼ばれる法成寺を建造、この世の浄土を創りあげた。 またその息子頼通は宇治に平等院鳳凰堂を建立している。 まさに浄土思想全盛の時代であった。 宇治 平等院 鳳凰堂

「君の眼に映ずるものが」

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  京都の大徳寺の 塔頭(たっちゅう)に、 大仙院という お庭で有名なお寺があります。 そこの玄関には、 こんな言葉が書いてありました。 「今日を一生懸命生きずして、 いつを生きるのか」 アンドレ・ジイドは 次のような言葉を残しています。 「君の眼に映ずるものが、 刻々と新たならんことを」 二つともに、僕の好きな言葉です。 大徳寺 大仙院 書院前庭

「平家物語 - 重衡と千手の前」

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 平重衡は南都襲撃により、東大寺の大五重塔や大仏殿、また興福寺の伽藍を焼き払った不埒な猛将というイメージしかなかった。 ところが実際は、清盛と仁位の尼時子の五男として、明るくユーモアもあり、気の利いた貴公子であったらしい。 「平家花揃」では、牡丹の花に例えられる豪華で美しい男と表現されている。 その重衡が捕らえられ、鎌倉に送られれて、そこで出遭った千手の前の情愛の篭った慰め。  「一樹の蔭、一河の流れも他生の縁」  と千手が詠えば、  興に乗った重衡も琵琶を弾じる。  千手が琴を合わせると  峯の松風も調べを添えるようであった。 重衡が南都の僧兵により、惨殺されたその時を同じうして、千手の前も自害し果てたという。 または、善光寺で重衡の菩提を弔ったとも。 いずれにしても、かくも美しい恋物語を作り上げているのは、源平合戦においては義経を除いては全て平家の貴公子達なのである。 そこには最初に天下を取ったにもかかわらず全て王朝貴族化してしまった平家と、あくまで鎌倉の地にとどまって、一所懸命の武士を貫いた源氏の大きな差が出ている。 東大寺 大仏殿