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1月 22, 2021の投稿を表示しています

「あくがるる 心はさても」

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  「敷島の やまと心を 人問はば      朝日に匂ふ 山桜花               本居宣長」 これは「花は桜 人は武士」の言葉と、桜の落花と戦争での散華を重ね合わせたイメージで、潔く散る武士(もののふ)のやまと魂を表現した歌のように、解釈されてきました。 でも実際はもっと素直に、日本人の心のありかを表わしたものなのでしょうね。 「あくがるる 心はさても 山ざくら    ちりなんのちや 身にかへるべき         西行[新後撰 91 ]」 山桜の歌は、何といっても西行が一番だと思います。 市ヶ谷 新見附橋

「あはれ うるわしの」

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  「あはれ  美わしの青春も  過ぎ行けば  楽しめよ  われ、明日知らぬ  命なれば」  ロレンツォ・デ・メディチ フィレンツェで栄華を誇った かのメディチ家のロレンツォですら このように歌いました 人生を愉しむ術を覚えることこそが 人生で一番大切なことのようです 花の聖母大聖堂 フィレンツェ

「さまざまの こと思い出す」

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  「さまざまのこと思い出す桜かな               芭蕉」 人生の中には、色々な桜の 想い出があります。 たとえ喜ばしい想い出でも、   桜に絡んだ思い出はそこはかとなく   儚さに彩られているような気もします。 愛の無常とも落花流水とも つながるような儚さ。 それは短い時季のみ咲き乱れ、   やがてすぐに散ってしまう桜の イメージが、   その思い出の背景に   横たわっているからでありましょうか。 喜びにつけ、悲しみにつけ、   さまざまの 桜を思い出すこと。 小石川後楽園の池

「願わくは」

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  願はくは、  この真に貴族的なものよ、  たった一人で行け、  私達地上のものには目もくれず、  天を仰いで一人で行け、  落日のようにおごそかに  落花のようにうつくしく              白洲正子 「散ればこそ」 真に貴族的なものとは  世阿弥の能  利休の侘茶  芭蕉の俳句 等 本当に貴いものは いつも孤独なのだ それは 大衆を離れて 孤高なのだ 天を目指すが故に そうして 独りであるが故に おごそかであり うつくしいのだ  「草野」 古澤万千子