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「沖の石の讃岐」

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  わが袖は塩干に見えぬ沖の石の        人こそしらねかはくまもなし             二条院讃岐 常神半島にはもう一つ有名な島がある。それは百人一首で有名な「沖の石の讃岐」の上述の和歌である。 この島というより岩島は、神子より塩坂の方へ戻る九十九折りの岬のあたりから見えるが、この辺りが二条院讃岐の父であった源三位頼政の所領であり、讃岐もこの若狭へ訪れているらしい。 源三位頼政と言えば鵺退治で有名であるが、保元の乱と平治の乱を勝ち抜き、 平氏が政治を専横する中で、源氏としては初めて三位まで官位を上り詰め、源氏の長老となっていたが、後白河天皇の皇子、以仁王の乱で以仁王に付き敗退して、宇治の平等院で討ち死にをした。歌人としても名を残しており、私の好きな歌に下記がある。 花咲かば告げよといひし花守の   来る音すなり馬に鞍おけ       源三位頼政 若狭の沖の石

「神子ざくら」

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「若狭のどこかに『神子ざくら』といって、大そうきれいな花があることを聞いていたが、へんぴな所らしく、京都でたずねてみても誰も知っている人はいない。仕方なしに、東京の編集者さんにしらべて貰うと、それは敦賀と小浜の間につき出た、常神半島の一角にある、神子部落という村で、桜は満開だから、今日明日にも来い、ということである。電話に出たのは、その村の区長さんで、京都からくるなら、車の方がいい、敦賀に出て、国道を西へ行くと、三方という町がある、そこで聞けばわかると、ことこまやかに教えて下さった。」 「神子に近づくにしたがい、大木の桜があちらこちらに見えはじめ、塩坂、遊子、小川を過ぎ、最後の岬を回ったとたん、山から下の浜へかけて、いっきに崩れ落ちる花の滝が現出した。人に聞くまでもなく、それが名におう『神子ざくら』であった。」 「嘗ての嵐山も、ほぼこれに近い盛観だったのではあるまいか。区長の松岡さんに伺ったところによると、この桜は観賞用に植えたものではなく、ころび(桐実と書く、油をとる木)の畑の境界に植えたものとかで、村人の生活と結びついていたために、手入れもよく行きとどいた。そういわれてみると、やや正確な井桁模様に咲いており、そういう風習がなくなった今日、保って行くのは大変なことではないかと思う。  神子は古く『御賀尾』と書き、それがつまってミコと呼ばれるようになったと聞く。だが、古い歴史を持つ土地がらであってみれば、必ず神様と関係があったに違いない。」    白洲 正子  『かくれ里』「花をもとめて」 先月インターネット俳句会で、 次の拙句を提出した。 海鼠食べ 若狭の顔に なりし妻    予期せぬことに「天」の評価を頂いた。 最初に神子の妻の実家を訪れた時は 何度も九十九折りの海岸線を走るので この世の果てに連れてゆかれるのか と思った。 神子ざくら