「 秋 二 題 」

「行く秋や 手をひろげたる 栗のいが」

「この道や 行く人なしに 秋の暮」

               芭 蕉

この二つの俳句を、芭蕉作と知らずに読んだとき、

これらの句を、私たちは名句と

思うであろうか。

誰でもが作れそうな句である。

しかし実際に作ることは難しい。

そして、句の中身は

「無内容」とも言うべきものである。 

我が敬愛する白洲正子は、

「日本の和歌の本質は、

無内容である」と言ったという。


嵯峨野 常寂光寺

 

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