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 「うめ 六句」

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  忘るなよ 藪の中なる むめの花              松尾芭蕉   世ににほへ 梅花一枝の みそさざい            松尾芭蕉   しら梅や 誰がむかしより 垣の外            与謝蕪村   散るたびに 老ゆく梅の 木末かな            与謝蕪村   梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈            与謝蕪村   梅咲や せうじに猫の 影法師             小林一茶   梅さけど 鶯(うぐいす)なけど ひとり哉             小林一茶   この六句の中では、やはり蕪村の   梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈 が好みである。   蕪村と言えば六五歳の時に   祇園の芸妓小糸に入れ込み、   門人から注意を受けて、   老いらくの恋を断ち切ったらしい。   老が恋 忘れんとすれば 時雨かな  蕪村   詳しくは葉室麟の『恋しぐれ』をお読み頂きたい。

「人生(LEBEN)」

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  Leben ( 人生)は Prozess der Reinigung (浄化の過程) として初めて意義あり Reingung の目標は Das Gute, Das Schön e . (善と美)    阿部 次郎 『三太郎の日記』 子供から大人へと孵化しえたのは 『三太郎の日記』と邂逅することが 出来たからであった 人生について多少とも 考えるようになったのは この本が契機となった 最も純真な年代に読書という 疑似体験で清濁混淆の人生を知り そうして社会人となって 濁世の喜怒哀楽を味わってきた 半生を回顧すれば世俗の塵芥を 払いのけてきたのは 文藝による浄化ではなかったか そして 善くなろうとする祈り 美しく生きたいという矜持 であったかもしれない サント・シャペル シテ島 パリ

 「長恨歌」

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  七月七日長生殿 夜半無人私語時   七月七日、長生殿 誰もいない夜半に 二人は親しく語りあった 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝   天にありては願わくは比翼の鳥となり  地にありては 願わくは連理の枝となりたい 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期   天地は長く久しいが いつかは尽きる時がある しかしこの悲しみは綿々として 決して絶えることはないでだろう      白楽天 『長恨歌』より   七三五年に十六歳の楊玉環は、唐の第六代皇帝玄宗の皇太子寿王の妃となるが、七四〇年二一歳の時に五五歳の玄宗皇帝に見初められ、玄宗の寵妃となる。 745 年に貴妃として冊立さる。七五六年安史の乱で逃亡中に死を賜る。玄宗七〇歳、楊貴妃三七歳の時である。   それからおよそ五〇年後の八〇六年に、白楽天により「長恨歌」が書かれた。そしてそれは『白氏文集』の中の著名な詩として、一〇〇〇年頃に日本の平安時代でよく読まれ、清少納言や紫式部にも愛読されたようである。   安史の乱で本当に国を傾けたゆえ、楊貴妃は「傾城の美女」と言われ世界三大美人の一人とされる。残る二人はギリシャ神話のヘレネ―、とクレオパトラ七世であるが、日本の場合にはヘレネ―の代わりに小野小町が入る。   また 古代 中国四大美人 は、 西施 ・ 王昭君 ・ 貂蝉 ・楊貴妃 である。貂蝉は架空の人物で、   三国志の最高の美女 貂蝉(ちょうせん) は 王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに 成功さ せた美女という。 下記は華清池である。

「空ぞ忘れぬ」

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時鳥そのかみやまの旅枕      ほのかたらひし空ぞ忘れぬ       式子内親王 「花にもの思ふ春」と言う白洲正子の本の題名は、式子内親王の歌から取っており、それを又私はこの詞華集の名前としたものである。 白洲正子に可愛がられた水原紫苑は、上記の式子内親王の和歌から自分の本の題名を、「空ぞ忘れぬ」としている。 九百年前の和歌が、こうして現代の文学に蘇るとは、言葉の力の何と強靭なものであろう。 上賀茂神社

「その貫通するもの」

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「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」                芭蕉 『笈の小文』 川端康成集で印象的なのは、いずれも「あなたはいまどこにおいでなのでしょうか」で始まる『反橋』『しぐれ』『住吉』の小編三編である。この三編に通底しているものは、『住吉物語』や和歌などの王朝文化であり、東山文化、連歌・俳諧や文人画であるが、「近代の魂の病から出発したような」スウチンそしてアルブレヒト・デュウラアという西洋画も取り上げている。この三編に取り上げられていることは、ノーベル文学賞記念講演の『美しい日本の私』の基礎になっていると思うが、その講演内容には日本の文化にとって重要な位置を占めている芭蕉の名前がないのは不思議である。一方『しぐれ』には芭蕉の上記の文章が引用されている。   「カーニュの風景」 スウチン

『美しい日本の私-その序説』

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 春は花夏ほととぎす秋は月   冬雪冴へて涼しかりけり         道元 私が社会人となった 昭和四三年(一九六八年)の一二月に、川端康成はノーベル賞の受賞講演会で『美しい日本の私-その序説』( Japan, the Beautiful, and Myself )を講話している。 大東亜戦争での大敗後の国の復興が成り、高度成長時代が始まりだした時期に、日本古来の美と文化と伝統を世界に向けて発信することは大きな意義のあることであった。 講話の冒頭に道元禅師の和歌を載せたことも、次のことを意識してこその故であった。すなわち、日本人は四季折々の雪月花の美に触れながら、自然と融合して「もののあはれ」を感じながら生きるという死生観を有していること。そして日本人の無常観とは虚無ということではなく、禅の無一物つまり無尽蔵につながるものであることを、強く印象付けるものとなっている。

「寒 梅」

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 庭上一寒梅 笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁 庭上の一寒梅 笑って風雪を侵して開く 争はず また力(つと)めず 自ずから百花の魁を占む      新島 襄 庭先の寒梅が 一輪花開いた 風雪をものともせず 何時もの季節通りに 笑うかのごとく咲いた 他の樹木と争うでなく そして力むのでもなく 泰然と他の花全ての 魁として   当たり前のように咲いた 我が家の枝垂れ紅梅

『旅愁』

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  「マルセーユ  つれしゃるまん ( Très Charmant )  覚えけり」         横光利一  『旅愁』 高校生時代の読書としては、そんなに多くの本を読んだ記憶はないが、なぜか新感覚派の横光利一の『旅愁』に感動したことがある。 歴史と文化を勉強に行った矢代のパリやスイスでの千鶴子への慕情、伊勢神宮への郷愁など、ヨーロッパへの憧れを覚えたものであった。その後横光利一に関しては、『機械』などを読みかけたがあまり興味がわかず、同じ新感覚派である川端康成の本を読み始めた。 マルセーユ

「Serenity Player」

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  “Oh God, give us serenity to accept what can’t be changed, give us courage to change what to be changed and give us wisdom to distinguish the one from the other.”  「神よ、変えることができないものを受け止める冷静さと、変えるべきものを変える勇気と、その前者と後者を見分ける智慧をお与えください」          ラインホルド・ニーバー 取引先の社長から教示された片言隻句に「ニーバーの祈り」というものがあり、この言葉には随分と助けられた。苦しい時に逃げようとする弱さをどうにか抑えて、難問と立ち向かえる勇気を与えてくれたのは、この言葉のお蔭である。「 Serenity Player 」と言われるこの言葉は、米国のバルト神学者ラインホルド・ニーバーの残したものと言われる。英語では様々な表現で表されているが、私の最初に習ったものを上記に表示した。  

「あしひきの」

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 「あしひきの 山桜花 日並(ひなら)べて       かく咲きたらば いと恋ひめやも」    足比奇乃 山櫻花 日並而       如是開有者 甚戀目夜裳             山辺 赤人 山桜は染井吉野と比べると、花の散るのは少し遅いと思われますが、それでも万葉時代の人も、桜の花の咲く期間が短いが故に、桜花を愛惜したようです。 「日並べて」とは何日の続けてという意味のようです。 「いと恋ひめやも」は、こんなの恋しく思ったでしょうか、いいやそうではないでしょう、という意味の反語ですね。 龍安寺 鏡容池

「かのことは」

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 「かのことは夢幻(ゆめまぼろし)か秋の蝶              鈴木 真砂女 」      秋の蝶が ふうわりと 庭先を       夕陽の方へと 飛んでゆく      あの人と 一緒に 蝶を見たのは      嵐山の 大河内山荘      紅色の毛氈で 薄茶を 喫していた       そのとき      蝶が 一片(ひとひら)      夕暮れ迫る 京洛の町並みのほうへと      風に 吹かれるように 浮遊していった      ああ あの人と わたしのことは      あれほどの 熱い想いで      あったのに      あのときの ふたりは      いま いずこ      夢 幻 よりも はかなく      わたしの 秋の季節も      この 秋の蝶のように      ふうわりと そして ゆっくりと       暮れて ゆくのだろう 大河内山荘 四阿

「いざ雪見」

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 「いざ雪見 容(かたちづくり)す 蓑と笠                 蕪村 」     晋の予譲を国士として遇した智伯が     襄子に滅ぼされた     その讐(あだ)を報ずる決意の吐露    「士ハ己ヲ知ル者ノ為ニ死ス     女ハ己ヲ説(よろこ)ブ者ノ為ニ       容(かたちづくり)ス」                 『史 記』       いざ行かん 雪見にころぶ ところまで                   芭蕉

「マカル サリ 美しい花が 咲いてる」

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 「マカル・サリ  MAKAR SARI     楽園は 心の中にある」 MAKAR 咲く  SARI 花  インドネシア語 楽園は そう 心の中にある 心の「平安  PEACE 」 「静謐  TRANQUILITY 」 そして自然の「美しさ  BEAUTY] 楽園にあるのは 物質的なもしくは 肉体的な快楽ではなく 精神的な平安と静謐 そうしてそれは  他律的なもの(外部からのもの)ではなく 自律的なもの(内部からのもの) そうして  そこには 美しい花が  咲いている アッシジのサン・フランシスコの 感じたような自然の中にある喜び 高山寺の明恵上人が会得したような 月や宇宙そのものと 合一する悟り アッシジ

「はかなさを   待賢門院堀河」

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      「はかなさをわが身のうへによそふれば        たもとにかかる秋の夕露              待賢門院堀河  」              この 御室の里にも        周山街道を伝って            秋がしめやかに 降りてくる         寂しさも 一入(ひとしお)の     その夕べに    花園の 五位山よりの 使い        待賢門院さまが お隠れに       花の 匂うが如く お美しい    璋子中宮さま    宮居や 鳥羽離宮での     華やかな 宴の かずかず         そのお姿が 庭もとの       萩に落ちた 夕露のごとく       はかなくなって しまわれたとは       夫も亡く 我が子も手放し       待賢門院さまのみが     よすがであったのに    夕露も わたくしの     涙のように     葉の先から     ひとしずく              落ちてゆく            そして この袂も     しとどに 濡れて      < 御室の里 = 仁和寺       花園の五位山 = 法金剛院 >   -------   「 申上げたことはありません     袂にかかる露の冷さなどは     秋草模様の小袖にはいつも     涙の玉の散りかかるばかり     はかない思ひはきのふから     明日に続いてまた繰り返す     ほろびの日を懼れるなどと     あなたには申上げますまい 」        塚本邦雄 「王朝百首」  276 頁    * 注)畏れ多くも、塚本邦雄作品と、        愚作を並べてしまいました。 嵯峨野 宝筐院  

薔薇

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「薔薇よ、純粋な矛盾  かくも夥しき瞳の中で  何者の眠りでもないという」       Rainer Maria Rilke   薔薇   その幾重もの花弁   美しく冴え渡るように   咲いているが 決して人を 寄せつけない 他者を惹きつけて おきながら 決して受容しない 孤高の美  

「白州正子の生き方」

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 「世間とか人の言葉というものに耳を貸さず、自分が一番いいと思ったことだけをする」 「白州正子は自らを西行たらん、と考えたのである」 「聖なるものの美と俗なるもののエネルギーの再発見。そしてそれをわが身にひきつけること。これが彼女の旅の姿であった」 「「かくれ里」と「西国巡礼」。それは、大きな意味での日本賛歌であり、同時に土地土地にゆかりのある人々への鎮魂の譜であった」 「正子は「西行」の中で「かたじけなさの涙こぼるる」相手が、なんであったかを問わなかったことが、いかにも西行らしいと書く。すなわちこの詠嘆の基にあるのは、仏教とか神道といった範疇を超えた宗教であり、信仰だったからだ。それを一言で表わすなら、日本人が富士山に対して抱く宗教的心情に代表されるもので、正子は富士は神が住む山ではなく、神そのものなのだと言い切っている」 「稚児の存在なくして、日本の中世文化は語れない」 「ノブレス・オブリージすなわち貴種は、それに応じた義務を背負うという発想は、終生変わらなかった」 「白州正子はつねにいわくいいがたいものを求めてきたからである」 「日本の美のはかなさ、その本質を「無内容」と断じてしまうのは、勇気の要ることであった」 「そしてこの無内容は、「空」に近い無内容だったのである」       馬場 啓一   「白州正子の生き方」       講談社   昭和の時代以降で 日本の美を真剣に求めたのは 文学で川端康成 随筆で白洲正子 日本画で東山魁夷 の三人であろうか その伝統を 受け継ぐ世代が 出てきてほしい ものである 武相荘 囲炉裏の居間  

「楽欲(げうよく)する所」

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  「楽欲(げうよく)する所、一つには名なり。名に二種あり。行跡(かうせき)と才芸との誉れなり。二つには色欲、三つには味ひなり。万(よろず)の願ひ、この三つには如かず」 兼好法師  『徒然草』 人間は、所詮強欲な生き物です。 名はひとまず置くとして、 食欲と色欲、 つまり美味しい食べ物と、 魅力的な異性 ということになります。 この二つとも、 本当に素晴らしかったと思ったら、 二度と味わってはいけないそうです。 なぜか。 それは夢が、必ず壊れるから。

  「日々新たに」

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 苟(まこと)に日に新たにせば、 日々に新た、 また日に新たならん。 君子の学びは、必ず日に新たなり。 日に新たなる者は、日に進むなり。 日に新たならざる者は、必ず日に退く。 未だ進まずして退かざる者はあらざるなり。 日に新たに、日々に新たなり。 日々是れ新たなり。 日に日に新たなり。      「大 学」(四書五経)   「落花流水」の理(ことわり)はわかっていても、 出会えた人と別れ別れになってゆくのは、 本当に寂しいものです。 そのことを思うと、本当に「一期一会」ですね。 毎日毎日の人との触れ合いを、 大切に味わないといけません。 中野孝次が書いています。 「毎日朝起きると、今日も新しい 1 ページだ」 と思うそうです。 とてもそこまでは行かなくとも、 「日々新たに、又新たに、さらに又新たななり」 の気持ちは、何時の世も大切なことでしょうね。 明日香 橘寺 天井画

「甘樫丘」

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「采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風  都を遠みいたずらに吹く                志貴皇子 」 采女乃 袖吹反 明日香風  京都乎遠見 無用尓布久    若いときに 会社の仲間と     明日香に出かけた    はじめて 甘樫丘に登った    そこには 飛鳥時代に    蘇我入鹿の 宮居があったという    その丘から 大阪の方を 望んで    作った 短歌       甘樫の 丘に登りて 難波見ゆ       我が思ふ人 ともにあらばや                冽 人 甘樫丘よりの展望    

「草原の輝き」

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 「草原の輝き」の中の、   心に残るワーズワースの詩。 Though nothing can bring    back the hour  Of splendor in the   grass Of glory in the flower We will grieve not. Rather find strength   in what remains behind. William Wordsworth (1770-1850) 草原の輝き  花の栄光 再びそれは還(かえ)らずとも なげくなかれ その奥に秘めたる力を見い出すべし 高瀬鎮夫訳 二十歳の頃に見た記憶に残る映画で、好きな女優だったナタリー・ウッド主演の映画が二本あります。 一つは言うまでもなく「ウェストサイド・ストーリー」で、レナード・バーンスタインの音楽、ジェローム・ロビンスの踊りに心躍らせました。後に社会人となって NY に暮らしたときは、ウェスト・サイドの治安の悪さに驚いたものでした。 もう一つは、名匠エリア・カザンの「草原の輝き」です。忘れ得ぬ映画の一つです。 オランダ キューケンホフ

「詩吟 富士山」

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      仙客来り遊ぶ 雲外の巓 神龍栖み老ゆ 洞中の淵 雪は紈素の如く 煙は柄の如し 白扇倒に懸かる 東海の天        「富士山」 石川 丈山         仙人の来りて遊ぶ        雲より突き出たる頂上       老いた龍神の住むという       山頂の洞窟の淵       白雪の色は絹の如く       たなびく煙は          扇の柄のようである  大きな白扇がさかしまに     東海の天に懸かっている     ふもと さへあつくぞありけるふじの山       みねにおもひのもゆる時には        「元良親王集」 神韻富岳 村上義則氏撮影

「桜月夜」

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  清水へ 祇園ををよぎる 桜月夜   こよひ逢う人 みなうつくしき          与謝野晶子     独身で   大阪は淀屋橋勤務の頃   仕事を五時に終えて   四人の仲間と   京阪電車に乗って   円山公園の枝垂れ桜を   愛でに行ったことがあった   赤い毛氈を敷いた酒席で   満開の枝垂れ桜を見上げながら   日本酒の盃を重ねた   忘れ得ぬ   桜月夜の   花浄土 「花明り」 東山魁夷

「回 文」

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「くさくさの なはしらぬらし はなもりも     なはしらぬらし はなのさくさく」     後ろから、読んでみてください     これが回文     名も知らぬ花が     人知れず     咲いている     あれが     わたしの 姿   有名な回文和歌には、桃山時代の下記がある。   なかきよのとおのねふりのみなめさめ   なみのりふねのおとのよきかな   そして古きは平安時代の下記の回文和歌である。   むらくさにくさのなはもしそなはらば   なぞしもはなのさくにさくらむ   元来は中国の漢詩に見られ、英語などでも   回文が見られるらしい。 旧浜離宮恩賜公園  

「古今和歌集 恋歌十選」

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  「ほととぎす鳴くや皐月のあやめぐさ  あやめもしらぬ恋もするかな            詠人不知 」 「すみの江の岸に寄る波夜さへや  夢のかよひぢ人目よくらむ          藤原敏行 」 「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ  夢と知りせば覚めざらましを           小野小町 」 「露ならぬ心を花におきそめて  風吹くごとに物思ひぞつく          紀 貫之 」 「ありあけのつれなく見えし別れより  あかつきばかり憂きものはなし            壬生忠岑 」 「君や来し我や行きけむ思ほへず  夢か現か寝てかさめてか          詠人不知 」 「かきくらす心の闇にまどひきに  夢うつつとは世人さだめよ          在原業平 」 「月やあらぬ春や昔の春ならぬ  わが身ひとつはもとの身にして          在原業平 」 「色見えでうつろふものは世の中の  人の心の花にぞありける           小野小町 」 「人知れず絶えなましかばわびつつも  無き名とぞだにいはましものを            伊 勢 」

「枕草子と中宮定子」

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 「枕草子が中宮定子の頌徳記といわれるのも当然です。枕草子もあらゆる意味で、中宮のおつくりになったもの、といっても過言ではありますまい。心ゆくもの、、うつくしきもの、あてなるもの、心ときめくもの、めでたきもの、すべては中宮のものであり、すべては中宮のことなのです。」      白州正子  「たしなみについて」( 1948 年) 白州正子は、また「歴史を通じて、ほんとうに円満に、すべてを備えた美しい女性といったら、まず第一にあげたくなるのが、この中宮様です。」とも書いている。 白州に言わせれば、清少納言は中宮定子という「美しい姿と心」の、その語り部であったに過ぎないのであろう。 こうしてみると、「枕草子」を産んだ中宮定子、そして「源氏物語」を支えた中宮彰子の二人を后とした、一条天皇とはどのような人物であったのだろう。

「秋 思」

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「永劫の 涯に火燃ゆる 秋思かな         野見山 朱鳥 」 秋の夕陽が めらめらと 燃えながら 遠い山の端に 落ちてゆく わたしの想いが 落ちてゆくのは    ただひとつだけ あの夕陽の 真紅の色のように そう あの女(ひと)のもとへ  

「三尾(さんび)の紅葉」

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 周山街道から登って、三尾さんび(高雄・槇尾・栂尾)の紅葉を見たことがある。その年は冷え込みが厳しかったせいか、例年になく京都も見事な紅葉となっているようで、三尾の紅葉はまさに今が盛りであると思われるほど綺麗であった。 栂尾・高山寺の石水院(国宝)で、「明恵上人樹上座禅像(成仁作)」と黒板に水墨で書かれた「阿留辺幾夜宇和」を見て、後鳥羽院から賜った学問所(石水院)における明恵上人に、少し触れてくることができた。境内の遺香庵の紅色の紅葉が、実に鮮やかであった。 栂尾・高山寺境内の遺香庵の紅葉

「あかあかや月」

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「あかあかやあかあかあかやあかあかや      あかあかあかやあかあかや月             明恵上人 」      中空に かかる 金色の月      この 栂尾(とがのお)の       石水院(せきすいいん)の 縁側に      ひとり 座禅して      月の光に このからだと       こころを 曝す      ああ 天上天下      あるのは       ただ 月と 吾(われ)      そうして 月も 吾も      阿留辺畿夜宇和(あるべきやうわ)      吾の魂は浮遊して   金色の月となり        月もまた吾に入り込み  吾そのものとなる      すべては      あかるく あかるく あかるく      そして ひとつに         明恵上人樹上の図