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「人生無上の楽しみ」

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  「心許した友と、いささかの酒を含みながら、人物を論じ、古典を論じ、古典を語るのは、人生無上の楽しみの一つである。」              伊藤 肇 『帝王学ノート』     「酒 知己ニ逢ヘバ 千 鐘 モ少ナシ    話 機ニ投ゼザレバ 半句モ多シ」             明末 『琵琶記』              安岡正篤の本は難しいけれど、その弟子だった伊藤肇の『帝王学ノート』には、感銘を受けました。 安岡先生と囲炉裏を囲んで、その囲炉裏に薔薇の香木を焚いて、雲遮月の話しをするところが書かれていました。 雲遮月とは徒然草の「月はくまなきものを見るものかは」ということです。 こういう会を、人生に一度でももてれば、幸せそのものでしょう。 「至福の時」というのは、我々凡人は悦楽の極みの時に感じるけど、本当に長く心の中に残る「至福の時」というのは、こういう清談のときかもしれません。 祇園 白川橋

「朧月夜の 花の光に」

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  「この世には 忘れぬ春の おもかげよ           朧月夜の 花の光に                式子内親王 」    月影の 朧な庭に    糸桜が 爛漫と咲き乱れ    花明かりは 我が白絹さえ    薄紅色に 染めて行く    わたくしの あのお方への想いも    淡く紅(くれない)づいていたのに    あのお方は 御法(みのり)の道へと    静かに 歩み去ってゆかれる    わたくしに 残されたのは    この朧月夜と 花明かり    あのお方の 面影が    まぶたに 浮かび    忘れえぬ わたくしの秘めた恋    法然上人どの... 小石川後楽園の枝垂れ桜(入口)

「西行の花月一如」

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 西行の出家の動機に関しては、色々な説があるそうであるが大きく分ければ次の三つとなる。 1)純粋に仏教への帰依の心によるもの 藤原頼長の日記『台記』にも、「家富み年若く、心愁ひ無きも、遂に以て遁世せり」と記述されている。 2)「無常感」が出家の原因 保元の乱に見られるような世上の出来事をはかなみその「無常感」が出家の原因となったと説く説話も多く存在している。実際そのような無常感を詠んだ歌が『山家集』には何首か収められている。 3)高貴な女性との恋 璋子との恋がなぜ西行の発心の起こりとなったかであるが、「申すも恐れある」高貴な女性に「あこぎの浦ぞ」とたしなめられたからと言われている。「あこぎの浦ぞ」とは    伊勢の海あこぎが浦に引く網も      たびかさなれば人もこそ知れ という古歌によっており、逢うことが重なればやがて人のうわさにものぼるであろう、とたしなめられたというわけである。璋子には他にもいくつかの浮名が伝わっている。恋多き女性であるとともに、西行が彼女の面影を曳きずり、多くの美しい恋歌を残しているところからも、魅力的な美しい女性であったことは想像に難くない。 西行の彼女を詠んだといわれる歌を二首。 知らざりき雲居のよそに見し月の       影を袂に宿すべしとは おもかげの忘らるまじき別れかな       名残りを人の月にとどめて     西行の出家はこれらの三つの説のどれかというより、三つの絡み合ったものであろうと思われるのである。 西行の出家がなぜかくまで後世の学者の興味をひくのか。 それは一般の出家もしくは隠遁僧とは質的に異なる、彼の類稀なる生き方とその生き方から生まれた和歌の数々が、我々現代人の心を捉えて離さないからであろう。 世俗を離れながらも、和歌に関しては極めて世俗的な欲望も持ちつづけた西行。 厳しい修験業を体験しながらも、僧侶としての悟りの境地は求めず、あくまでも自然体に生きた西行。 花月一如の世界に、仏教を越えた宗教的な恍惚の空間を作り上げた西行。 技巧を凝らして虚構の美の世界を紡ぎ続けた定家を始めとする新古今和歌壇をよそ目に見て、平易な言葉で死生観をそして桜と月を歌い、人の心に沁み入ってくる西行。 そうした西行の和歌の世界の「美」と「拡がり」と「深み」

「髪と夢の歌」

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  「眠りつつ 髪をまさぐる 指やさし       夢の中でも 私を抱くの           俵 万智  」 俵 万智は、この短歌を詠む時に 次のどの和歌が 頭の中にあったのだろうか 「黒髪」 黒髪の 乱れも知らず うち臥せば     まづかきやりし 人ぞ恋しき            和泉式部 長からむ 心も知らず 黒髪の     乱れてけさは 物をこそ思へ          待賢門院堀河 かきやりし その黒髪の 筋ごとに    うち臥す程は 面影に立つ          藤原定家 ぬばたまの 妹が黒髪 今夜もか  吾が無き床になびけて寝らむ        柿本人麻呂歌集 「夢」 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ     夢と知りせば 覚めざらましを             小野小町 うたたねに 恋しき人を 見てしより      夢てふものは 頼み初めてき             小野小町 夢殿

「空の名残 - 徒然草」

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  -某(なにがし)とかやいひし世捨て人の、  「この世のほだし持たらぬ身に、   ただ、空の名残のみぞ惜しき」  と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ-               吉田兼好 「徒然草」    森本哲郎は「空の名残-僕の日本十六景」の中で    文字通りに「空の余光」それこそ    「夕づく日 入りてしまらく 黄なる空の色」    と受け取りたいとしている    夕暮れの空の微妙な移り変わりが    我々の目に映り    心もそれにつれて深い思いに浸される    ---------    万葉集の御代、源氏物語の王朝時代、    平安末期の西行の世界、    鎌倉末期の吉田兼好の「徒然草」、    江戸前期の芭蕉の風雅、    我々日本人は、如何に自然に順応して、    その姿を自分の心に映して    生きてきたことであろう 六義園の夕暮れ

「子曰 知者楽水 仁者楽山」

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子曰 知者楽水 仁者楽山      知者動 仁者静 知者楽 仁者寿 子曰く、知者 ( ちしゃ ) 水を楽しみ、 仁者(じんしゃ) 山を楽しむ。 知者は動き、仁者は静かなり。 知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。          (『論語』雍也篇) 水のようなものの流転の理を知る智の徳 山のような安らぎと静けさを保つ仁の徳 人間としての完成した姿は、山を好む仁者の姿であろう。 しかし、実際には若年から壮年にかけては、智者として活動し、老年に入ってよりは、仁者として心静かに過すのが、もっとも好ましいのであろうか。 行きては到る水の窮まる処 坐しては看る雲の起こる時        王維 「終南別業」 保津川と嵐山の夕景    

「沈黙の日本美」

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    「すぐれた観照者とは、  作者の魂のはたらきを  おのれのものとして  体験できるもののことだ。」                    吉村貞司  「沈黙の日本美」      日本美の探求者に 吉村貞司がいる      その洋の東西に渡る見識の広さ      美を味わう心の深さにおいて      まさに「美のすぐれた観照者」における      第一人者のひとりに挙げられよう      われわれ凡人は 吉村貞司の      眼と心の紡ぎ出す珠玉のごとき文により      より深く日本美を味わうことが      できるのである      彼の本を読んだ御蔭で      その仏像を拝観する折に      どれほどの恩恵を受けたかは      筆舌に尽くしがたい < Remarks > 吉村貞司の書  「川端康成・美と伝統」         「愛と苦悩の古仏」         「古仏の微笑と悲しみ」 原谷苑