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「与謝 蕪村」

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  蕪村名句 「春風や 堤長うして 家遠し」 「春雨や 小磯の小貝 濡るるほど」 「ゆく春や おもたき琵琶の 抱きごころ」 「老いが恋 忘れんとすれば 時雨かな」 「うずみ火や わが隠れ家も 雪の中」 「白梅に 明くる夜ばかりに なりにけり」 蕪村関連お薦め本 森本哲郎 「月は東に-蕪村の夢 漱石の幻」 新潮文庫 芳賀 徹 「与謝蕪村の小さな世界」 中公文庫 高橋庄次 「月に泣く蕪村」 春秋社 尾形仂校注 「蕪村俳句集」 岩波文庫

「恍惚と」

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  「恍惚と 萬燈照りあひ 瞬きあひ            橋本多佳子 」     この恍惚に浸っている俳句は、きらびやかに美しい 萬燈会は写真でしか見たことはないが お寺の境内に煌めく萬燈の美的恍惚が 宗教的な恍惚と重層化され 得も言えぬ法悦に浸っているのであろう そして作者は一人のみなのか それとも二人連れなのか 薬師寺の萬燈会

「存命の喜び」

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  「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」              吉田 兼好 『徒然草』 中野孝次がその著作『清貧の思想』で、 この兼好の言葉を挙げている。 まさにその通りであるが、まだ社会で現役の頃には、 我々凡人は、健康に今生きてあることの喜びなどは 思わずに、 ただ日常的な卑近な事柄に振り回されて 齷齪してきた。 そして今毎日が日曜日の日々に在って、 果たして「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」 を成し得ているであろうか。 姫路 書写山圓教寺

「清澄な魂」

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「男の魅力として最も大切なものは、    清澄さ( SERENO )である」             塩野 七生 人生の素晴らしさと美しさと醍醐味を 思う存分に味わうこと そして物事を心で識ること そのためには感性を研ぎ澄ませて 新たなる眼(まなこ)と新しき存在感を 手に入れなければならない 地球という美しい星に生まれて 今はたとえコロナ禍に苦しんでいても 共に生きる大切な人たちと一緒に ゲーテの言うように生き生きと そして塩野七生の言葉の如く 清澄な魂を育みながら 生きていきたいものだ ルーブル美術館 い

「美と真と善」

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「美は真を貫く、善も貫くかもしれない」             小林 秀雄 人生における探求は,真・善・美であると言われる。 しかし小林秀雄は真と善の上に美を置いている。 何が真か、いずれが善かは、判然としないことが多い。 けれどもどちらの在り方や行為が美であるか否かは、 かなり判断しやすいものである。 美しく生きたいものであるが、これが至難の業である。 小林秀雄は、白洲正子の文学における師匠であった。 そして白洲正子の骨董の美における師匠である 青山二郎は次のように書いている。 「美とは魂の純度の探求である」。 小林秀雄と青山二郎 青山二郎

「時超えて」

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「時超えて 残るものもし ありとせば   紡ぎて光る ことば一片(ひとひら)」            尾崎左永子   時を超えて残る言葉とは 万葉集の中の万葉秀歌の如く 千年を超える時の経過を経ても 誦んずれば 金剛石の如ききらめきを放ち 魂に沁みこんでゆくような そんなひと片の言葉 ドレスデン

「以文会友」

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  「以文会友」という康成の雄渾な書があります 。 その原典は、下記の通りです。 「論語」の「顔淵」 「曾子曰、君子以文会友、以友輔仁」 (曾子曰く、  君子は文(ぶん)を以って友と会(かい)し、  友を以って仁(じん)を輔(たす)く) <訳>  曾子が言われた、   「君子は文事[詩書礼楽]によって友達を集め、  友達によって仁の徳[の成長]を助ける。」 写真は川端の母校・茨木高校にある自筆の額です。 川端の書は、中国の書家たちからも 高い評価を得ているそうです。