投稿

「草いろいろ」

イメージ
草いろいろ おのおの花の 手柄かな            芭蕉  美濃で「更科紀行」に出立するに際し 門人たちに別れの謝辞として 詠んだ句で、留別吟というそうである 色々な草草つまり門人たちがいるが それぞれに立派な句を詠んで 花を咲かせてくれている ありがたいことだという句で 季語は草の花であるそうだ 説明がなければ 単なる草花の句としか思えない ありきたりの言葉を使っているが こうした組み合わせは なかなかできない

「慥かな眼」

イメージ
「美」ということについて、これほど直截に、さわやかに語った人が他にあるだろうか。白洲さんの文章は、練達の剣士の剣舞を見ているような味があった。風に揺れる花のようだが、近寄ると切られるという気合がこもっていた。日本のすべての人に読んでいただきたい書物である。           河合隼雄 人間の「感受性」というものは、普通は年齢を重ねるとともに弱まってくるものと考えられています。「感受性」と「慥かな眼」の双方を死に至るまで維持することは至難の業でしょう。 しかし白洲正子で言えば、本物を見極める眼を磨きに磨いてきた結果、若い時とは比較できないような「慥かな眼」を持つようになったのだと思います。その「慥かな眼」と様々な経験の積み重ねで、白洲正子の感受性はなくなる直前迄とても豊かであったのではないかと思われます。  

「虹のような言葉の織物」

イメージ
  「さらに美しい虹のような言葉の織物を紡ぎだす」ために 人間は相手の在り方や対応の仕方によって、様々にその在り方や対応を変えるものだと思う。つまり相手をする人間の数だけ、その人は色々な顔を持っているし、色々な人間性を表面に表わすのではなかろうか。太鼓が打ち方によって様々に鳴るように、人間も相手のパーソナリティによって、様々な応え方、響き方をするように思うのである。それ故にこそ、今までの自分になかったような打ち方をしてくれる、人間的に魅力のある人との出会いを、人間という存在は待っているのかもしれない。その邂逅した相手によって、さらに美しい澄んだ響きを鳴らすために。少し気取っていえば、「さらに美しい虹のような言葉の織物を紡ぎだす」ために。 幻の「辻が花」

「美の特徴の四原則」

イメージ
  「美の特徴の四原則」 1 )自分を越えたものであること、憧れ、 2 )初めて見たという驚き、意外性   3 )生命力を与える、生きていて良かったと思う感動   4 )他人にその感動を伝えたくなる             ギリシャ叙事詩『オデッセイア』より この『オデッセイア』の 「美の特徴の四原則」は 千住博の『ルノワールは無邪気に微笑む』 という本に 出ていました。 美と憧れと生命力と感動のつながりの、 良く判る言葉です メトロポリタン美術館のモネの『睡蓮』

「与謝 蕪村」

イメージ
  蕪村名句 「春風や 堤長うして 家遠し」 「春雨や 小磯の小貝 濡るるほど」 「ゆく春や おもたき琵琶の 抱きごころ」 「老いが恋 忘れんとすれば 時雨かな」 「うずみ火や わが隠れ家も 雪の中」 「白梅に 明くる夜ばかりに なりにけり」 蕪村関連お薦め本 森本哲郎 「月は東に-蕪村の夢 漱石の幻」 新潮文庫 芳賀 徹 「与謝蕪村の小さな世界」 中公文庫 高橋庄次 「月に泣く蕪村」 春秋社 尾形仂校注 「蕪村俳句集」 岩波文庫

「恍惚と」

イメージ
  「恍惚と 萬燈照りあひ 瞬きあひ            橋本多佳子 」     この恍惚に浸っている俳句は、きらびやかに美しい 萬燈会は写真でしか見たことはないが お寺の境内に煌めく萬燈の美的恍惚が 宗教的な恍惚と重層化され 得も言えぬ法悦に浸っているのであろう そして作者は一人のみなのか それとも二人連れなのか 薬師寺の萬燈会

「存命の喜び」

イメージ
  「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」              吉田 兼好 『徒然草』 中野孝次がその著作『清貧の思想』で、 この兼好の言葉を挙げている。 まさにその通りであるが、まだ社会で現役の頃には、 我々凡人は、健康に今生きてあることの喜びなどは 思わずに、 ただ日常的な卑近な事柄に振り回されて 齷齪してきた。 そして今毎日が日曜日の日々に在って、 果たして「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」 を成し得ているであろうか。 姫路 書写山圓教寺