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「恍惚と」

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  「恍惚と 萬燈照りあひ 瞬きあひ            橋本多佳子 」     この恍惚に浸っている俳句は、きらびやかに美しい 萬燈会は写真でしか見たことはないが お寺の境内に煌めく萬燈の美的恍惚が 宗教的な恍惚と重層化され 得も言えぬ法悦に浸っているのであろう そして作者は一人のみなのか それとも二人連れなのか 薬師寺の萬燈会

「存命の喜び」

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  「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」              吉田 兼好 『徒然草』 中野孝次がその著作『清貧の思想』で、 この兼好の言葉を挙げている。 まさにその通りであるが、まだ社会で現役の頃には、 我々凡人は、健康に今生きてあることの喜びなどは 思わずに、 ただ日常的な卑近な事柄に振り回されて 齷齪してきた。 そして今毎日が日曜日の日々に在って、 果たして「存命の喜び、日々に楽しまざらんや」 を成し得ているであろうか。 姫路 書写山圓教寺

「清澄な魂」

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「男の魅力として最も大切なものは、    清澄さ( SERENO )である」             塩野 七生 人生の素晴らしさと美しさと醍醐味を 思う存分に味わうこと そして物事を心で識ること そのためには感性を研ぎ澄ませて 新たなる眼(まなこ)と新しき存在感を 手に入れなければならない 地球という美しい星に生まれて 今はたとえコロナ禍に苦しんでいても 共に生きる大切な人たちと一緒に ゲーテの言うように生き生きと そして塩野七生の言葉の如く 清澄な魂を育みながら 生きていきたいものだ ルーブル美術館 い

「美と真と善」

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「美は真を貫く、善も貫くかもしれない」             小林 秀雄 人生における探求は,真・善・美であると言われる。 しかし小林秀雄は真と善の上に美を置いている。 何が真か、いずれが善かは、判然としないことが多い。 けれどもどちらの在り方や行為が美であるか否かは、 かなり判断しやすいものである。 美しく生きたいものであるが、これが至難の業である。 小林秀雄は、白洲正子の文学における師匠であった。 そして白洲正子の骨董の美における師匠である 青山二郎は次のように書いている。 「美とは魂の純度の探求である」。 小林秀雄と青山二郎 青山二郎

「時超えて」

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「時超えて 残るものもし ありとせば   紡ぎて光る ことば一片(ひとひら)」            尾崎左永子   時を超えて残る言葉とは 万葉集の中の万葉秀歌の如く 千年を超える時の経過を経ても 誦んずれば 金剛石の如ききらめきを放ち 魂に沁みこんでゆくような そんなひと片の言葉 ドレスデン

「以文会友」

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  「以文会友」という康成の雄渾な書があります 。 その原典は、下記の通りです。 「論語」の「顔淵」 「曾子曰、君子以文会友、以友輔仁」 (曾子曰く、  君子は文(ぶん)を以って友と会(かい)し、  友を以って仁(じん)を輔(たす)く) <訳>  曾子が言われた、   「君子は文事[詩書礼楽]によって友達を集め、  友達によって仁の徳[の成長]を助ける。」 写真は川端の母校・茨木高校にある自筆の額です。 川端の書は、中国の書家たちからも 高い評価を得ているそうです。

「メトロポリタン美術館」

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The Metropolitan Museum of Art 、通称 The Met は、世界最大級の美術館で、設立は一八七〇年である。設立の構想は、一八六四年、パリで七月四日のアメリカ独立記念日を祝うために集まった米国人たちの会合の席で、参加者の一人であるジョン・ジョンストンによって提案された。その時点で米国は、美術館はおろか一枚の絵さへ国もしくは地方自治体は所有していなかったのである。 その後は基金による購入やさまざまな階層からの寄贈により、現在では絵画・彫刻・写真・工芸品のほか家具・楽器・装飾品など三〇〇万点の美術品を所蔵しているという。ルーブル美術館と同じく、一日で館内を拝観して回ることは、困難である。 別館としては、アッパー・マンハッタンのハドソン川沿いにフランスやスペインの僧院を解体して造られた「クロイスターズ」があり、中世ヨーロッパ美術が展示されている。また元のホイットニー美術館の建物を借りて、二〇一六年三月よりもう一つの別館「メット・ブロイヤー」を開館しており、ピカソの作品などキュービズムを中心としたモダンアート・コンテンポラリーアートの展示も行っているようである。 二〇〇二年に家族四人で訪れた時に写したギュスターブ・モローの「オイディプスとスフィンクス」を下記に添付する。