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「夜這星」

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  「星はすばる ひこ星 ゆふづつ よばひ星 すこしをかし」            清少納言 「枕草子 」 星と言えば平安時代よりすばる 昴は統(す)ばるに由来し プレアデス星団をさすという 次いでひこ星は彦星 七夕の伝説の牽牛星であり わし座の一等星・アルタイル ゆふづつ(夕星)は金星 宵の明星であり 長庚という 蕪村は 長庚 とも号した よばひ星は夜這星と書き 流星のこと 夏山の金銀砂子の星空に 横たわる銀漢 その銀漢をよぎるほうき星ほど 「おかし」いものはない

『陰翳礼讃』

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  「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの祖先は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがて美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実日本の座敷の美は、まったく陰翳の濃淡によって生まれているので、それ以外に何もない。」           谷崎 潤一郎  『陰翳礼讃』 うす暗い畳の日本間に 障子を通して 陽光が射し込んでくる光景に こころやすまる思いをし 射干玉の暗闇に 蝋燭の弱い光に照らされた 金屏風に美を感じるのが 大和心の美意識ではなかろうか

「言葉というものは」

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  「言葉というものは電光のように通じるもので、それは聞くほうがその言葉を待っているからである」               山本夏彦 言葉は不思議なものである。 受け取る方にその言葉を 待ち受けている心がなければ 如何に良い言葉でも 受け取る相手には通じない しかし受け取る相手が その言葉を待ち受けていれば それは電光のように相手の心に 響き渡り 感動を引き起こす 良い言葉にすぐに反応できるように 日頃から心を磨いて居たいものである 伊吹山

『モツァルトと西行」

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  「モツァルトの光は、バッハのように崇高な、つまり天からだけ落ちてくる光ではない。またベートーベンのように、人間の苦悩する魂から滲みでる神秘的な光でもない。嬰児の笑い声のような明るさ、一種の天と地との間の薄明のような光線が、どこからともなくかれの作曲した音符の一つ一つに射している。 .....  つまり私たちの生まれなかった昔にでも聞いたような、天使の歌の遠いかすかな記憶が蘇るような具合に、モツァルトは歌いかけるのである。」       福永 武彦          『藝術の慰め』 「モツァルト頌」 「西行の和歌を貫くふしぎに透明な気分は、この地上一寸の浄福感からきている。」        上田 三四二         『この世 この生 - 西行 良寛 明恵 道元』 モツァルトが没したのは1791年で、西行が亡くなったのは1190年のその如月の望月の頃である。両者はそれぞれ音楽家と歌人の僧侶であり、その生きた時代も600年の開きがある。しかしその音楽作品と和歌の作品には、天使の歌とでもいえるような共通性がある。俗世間から抜け切れてはいないが、地上一寸浮き出た位置にあって、純粋性と浄福感を併せ持った作品が多いと感じる。 オランダ キューケンホフ公園

「心あかるければ」

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  「心あかるければ、世明るし。心深けれは、世深し」         「安岡正篤(まさひろ)一日一言」から 世の中のことも、自分自身のことも 全ては心の持ちよう次第 苦しみと喜びも 受け取り様次第 苦しみは 災難と受け取るか 試練と受け取るか 喜びは 自分の力と思うか 人様のお蔭と思うか わかっていても 自分の心を制御するのは 簡単ではない 鍋島松濤公園

「花筐」

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花がたみ 目ならぶ人の あまたあれば    忘られぬらむ 数ならなくに         詠人不知  花かごのなかに 並んでいる花のように あなたさまには 沢山の女人がおいででしょうから ものの数に入らないわたしなど もうお忘れでございましょう *   花筐は 男大迹王(継体天皇) を慕って  形見の花筐をもって都へと  狂い出た 照日の前 がシテの狂女物の 能 。  世阿弥作。 上村松園 「花筐」 花かごの中にいろいろと花があるのを選ぶように、選べる相手がたくさんいるので、忘れられてしまったのでしょう、物の数にも入らない私は 、   花がたみ  目ならぶ人の  あまたあれば  忘られぬらむ  数ならぬ身は

「幸せと喜び」

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 幸せになるには必ず何かがなくてはいけなくて、それがあるから幸せなのだ。つまり外界に依存した感情なのだ。  喜びには、そんなものはいらない。眼に見える理由が何一つなくても、私達を包みまるで太陽みたいに自分自身の核を燃やしながら燃え続ける。    「心のおもむくままに」 スザンナ・タマーロ著 『幸せ』=ある人たちといること      あるものを手にしたこと      ある環境にいること   対象もしくは 環境と言う外部的なものにより生ずるもの   受動的幸福感・時限性   『喜び』=ある人たちを愛していること      ある心の状態にいること   精神的もしくは心に関わる内部的なものに   より生じるもの   能動的幸福感・永続性 人間はいつも自分の人生の中にあって、自分ですべてを決定することは出来ない。しかし少なくとも自分で決定できる範囲での自分の生き方は、 自分が主人公となって決定してゆきたい。 そして自分の人生の中で、出来うる限り大きな「喜怒哀楽」を味わっておきたい。自分が選んだ生き方の中で、他者との心の通うかかわりを持って、しっかりと 「喜怒哀楽」を味わうこと。このことが「生きている実感」であり、「生命の燃焼」に繋がるのではなかろうか。 ジヴェルニーのモネの邸宅