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「人生(LEBEN)」

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  Leben ( 人生)は Prozess der Reinigung (浄化の過程) として初めて意義あり Reingung の目標は Das Gute, Das Schön e . (善と美)    阿部 次郎 『三太郎の日記』 子供から大人へと孵化しえたのは 『三太郎の日記』と邂逅することが 出来たからであった 人生について多少とも 考えるようになったのは この本が契機となった 最も純真な年代に読書という 疑似体験で清濁混淆の人生を知り そうして社会人となって 濁世の喜怒哀楽を味わってきた 半生を回顧すれば世俗の塵芥を 払いのけてきたのは 文藝による浄化ではなかったか そして 善くなろうとする祈り 美しく生きたいという矜持 であったかもしれない サント・シャペル シテ島 パリ

 「長恨歌」

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  七月七日長生殿 夜半無人私語時   七月七日、長生殿 誰もいない夜半に 二人は親しく語りあった 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝   天にありては願わくは比翼の鳥となり  地にありては 願わくは連理の枝となりたい 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期   天地は長く久しいが いつかは尽きる時がある しかしこの悲しみは綿々として 決して絶えることはないでだろう      白楽天 『長恨歌』より   七三五年に十六歳の楊玉環は、唐の第六代皇帝玄宗の皇太子寿王の妃となるが、七四〇年二一歳の時に五五歳の玄宗皇帝に見初められ、玄宗の寵妃となる。 745 年に貴妃として冊立さる。七五六年安史の乱で逃亡中に死を賜る。玄宗七〇歳、楊貴妃三七歳の時である。   それからおよそ五〇年後の八〇六年に、白楽天により「長恨歌」が書かれた。そしてそれは『白氏文集』の中の著名な詩として、一〇〇〇年頃に日本の平安時代でよく読まれ、清少納言や紫式部にも愛読されたようである。   安史の乱で本当に国を傾けたゆえ、楊貴妃は「傾城の美女」と言われ世界三大美人の一人とされる。残る二人はギリシャ神話のヘレネ―、とクレオパトラ七世であるが、日本の場合にはヘレネ―の代わりに小野小町が入る。   また 古代 中国四大美人 は、 西施 ・ 王昭君 ・ 貂蝉 ・楊貴妃 である。貂蝉は架空の人物で、   三国志の最高の美女 貂蝉(ちょうせん) は 王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに 成功さ せた美女という。 下記は華清池である。

「空ぞ忘れぬ」

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時鳥そのかみやまの旅枕      ほのかたらひし空ぞ忘れぬ       式子内親王 「花にもの思ふ春」と言う白洲正子の本の題名は、式子内親王の歌から取っており、それを又私はこの詞華集の名前としたものである。 白洲正子に可愛がられた水原紫苑は、上記の式子内親王の和歌から自分の本の題名を、「空ぞ忘れぬ」としている。 九百年前の和歌が、こうして現代の文学に蘇るとは、言葉の力の何と強靭なものであろう。 上賀茂神社

「その貫通するもの」

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「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」                芭蕉 『笈の小文』 川端康成集で印象的なのは、いずれも「あなたはいまどこにおいでなのでしょうか」で始まる『反橋』『しぐれ』『住吉』の小編三編である。この三編に通底しているものは、『住吉物語』や和歌などの王朝文化であり、東山文化、連歌・俳諧や文人画であるが、「近代の魂の病から出発したような」スウチンそしてアルブレヒト・デュウラアという西洋画も取り上げている。この三編に取り上げられていることは、ノーベル文学賞記念講演の『美しい日本の私』の基礎になっていると思うが、その講演内容には日本の文化にとって重要な位置を占めている芭蕉の名前がないのは不思議である。一方『しぐれ』には芭蕉の上記の文章が引用されている。   「カーニュの風景」 スウチン

『美しい日本の私-その序説』

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 春は花夏ほととぎす秋は月   冬雪冴へて涼しかりけり         道元 私が社会人となった 昭和四三年(一九六八年)の一二月に、川端康成はノーベル賞の受賞講演会で『美しい日本の私-その序説』( Japan, the Beautiful, and Myself )を講話している。 大東亜戦争での大敗後の国の復興が成り、高度成長時代が始まりだした時期に、日本古来の美と文化と伝統を世界に向けて発信することは大きな意義のあることであった。 講話の冒頭に道元禅師の和歌を載せたことも、次のことを意識してこその故であった。すなわち、日本人は四季折々の雪月花の美に触れながら、自然と融合して「もののあはれ」を感じながら生きるという死生観を有していること。そして日本人の無常観とは虚無ということではなく、禅の無一物つまり無尽蔵につながるものであることを、強く印象付けるものとなっている。

「寒 梅」

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 庭上一寒梅 笑侵風雪開 不争又不力 自占百花魁 庭上の一寒梅 笑って風雪を侵して開く 争はず また力(つと)めず 自ずから百花の魁を占む      新島 襄 庭先の寒梅が 一輪花開いた 風雪をものともせず 何時もの季節通りに 笑うかのごとく咲いた 他の樹木と争うでなく そして力むのでもなく 泰然と他の花全ての 魁として   当たり前のように咲いた 我が家の枝垂れ紅梅

『旅愁』

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  「マルセーユ  つれしゃるまん ( Très Charmant )  覚えけり」         横光利一  『旅愁』 高校生時代の読書としては、そんなに多くの本を読んだ記憶はないが、なぜか新感覚派の横光利一の『旅愁』に感動したことがある。 歴史と文化を勉強に行った矢代のパリやスイスでの千鶴子への慕情、伊勢神宮への郷愁など、ヨーロッパへの憧れを覚えたものであった。その後横光利一に関しては、『機械』などを読みかけたがあまり興味がわかず、同じ新感覚派である川端康成の本を読み始めた。 マルセーユ