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「あしひきの」

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 「あしひきの 山桜花 日並(ひなら)べて       かく咲きたらば いと恋ひめやも」    足比奇乃 山櫻花 日並而       如是開有者 甚戀目夜裳             山辺 赤人 山桜は染井吉野と比べると、花の散るのは少し遅いと思われますが、それでも万葉時代の人も、桜の花の咲く期間が短いが故に、桜花を愛惜したようです。 「日並べて」とは何日の続けてという意味のようです。 「いと恋ひめやも」は、こんなの恋しく思ったでしょうか、いいやそうではないでしょう、という意味の反語ですね。 龍安寺 鏡容池

「かのことは」

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 「かのことは夢幻(ゆめまぼろし)か秋の蝶              鈴木 真砂女 」      秋の蝶が ふうわりと 庭先を       夕陽の方へと 飛んでゆく      あの人と 一緒に 蝶を見たのは      嵐山の 大河内山荘      紅色の毛氈で 薄茶を 喫していた       そのとき      蝶が 一片(ひとひら)      夕暮れ迫る 京洛の町並みのほうへと      風に 吹かれるように 浮遊していった      ああ あの人と わたしのことは      あれほどの 熱い想いで      あったのに      あのときの ふたりは      いま いずこ      夢 幻 よりも はかなく      わたしの 秋の季節も      この 秋の蝶のように      ふうわりと そして ゆっくりと       暮れて ゆくのだろう 大河内山荘 四阿

「いざ雪見」

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 「いざ雪見 容(かたちづくり)す 蓑と笠                 蕪村 」     晋の予譲を国士として遇した智伯が     襄子に滅ぼされた     その讐(あだ)を報ずる決意の吐露    「士ハ己ヲ知ル者ノ為ニ死ス     女ハ己ヲ説(よろこ)ブ者ノ為ニ       容(かたちづくり)ス」                 『史 記』       いざ行かん 雪見にころぶ ところまで                   芭蕉

「マカル サリ 美しい花が 咲いてる」

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 「マカル・サリ  MAKAR SARI     楽園は 心の中にある」 MAKAR 咲く  SARI 花  インドネシア語 楽園は そう 心の中にある 心の「平安  PEACE 」 「静謐  TRANQUILITY 」 そして自然の「美しさ  BEAUTY] 楽園にあるのは 物質的なもしくは 肉体的な快楽ではなく 精神的な平安と静謐 そうしてそれは  他律的なもの(外部からのもの)ではなく 自律的なもの(内部からのもの) そうして  そこには 美しい花が  咲いている アッシジのサン・フランシスコの 感じたような自然の中にある喜び 高山寺の明恵上人が会得したような 月や宇宙そのものと 合一する悟り アッシジ

「はかなさを   待賢門院堀河」

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      「はかなさをわが身のうへによそふれば        たもとにかかる秋の夕露              待賢門院堀河  」              この 御室の里にも        周山街道を伝って            秋がしめやかに 降りてくる         寂しさも 一入(ひとしお)の     その夕べに    花園の 五位山よりの 使い        待賢門院さまが お隠れに       花の 匂うが如く お美しい    璋子中宮さま    宮居や 鳥羽離宮での     華やかな 宴の かずかず         そのお姿が 庭もとの       萩に落ちた 夕露のごとく       はかなくなって しまわれたとは       夫も亡く 我が子も手放し       待賢門院さまのみが     よすがであったのに    夕露も わたくしの     涙のように     葉の先から     ひとしずく              落ちてゆく            そして この袂も     しとどに 濡れて      < 御室の里 = 仁和寺       花園の五位山 = 法金剛院 >   -------   「 申上げたことはありません     袂にかかる露の冷さなどは     秋草模様の小袖にはいつも     涙の玉の散りかかるばかり     はかない思ひはきのふから     明日に続いてまた繰り返す     ほろびの日を懼れるなどと     あなたには申上げますまい 」        塚本邦雄 「王朝百首」  276 頁    * 注)畏れ多くも、塚本邦雄作品と、        愚作を並べてしまいました。 嵯峨野 宝筐院  

薔薇

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「薔薇よ、純粋な矛盾  かくも夥しき瞳の中で  何者の眠りでもないという」       Rainer Maria Rilke   薔薇   その幾重もの花弁   美しく冴え渡るように   咲いているが 決して人を 寄せつけない 他者を惹きつけて おきながら 決して受容しない 孤高の美  

「白州正子の生き方」

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 「世間とか人の言葉というものに耳を貸さず、自分が一番いいと思ったことだけをする」 「白州正子は自らを西行たらん、と考えたのである」 「聖なるものの美と俗なるもののエネルギーの再発見。そしてそれをわが身にひきつけること。これが彼女の旅の姿であった」 「「かくれ里」と「西国巡礼」。それは、大きな意味での日本賛歌であり、同時に土地土地にゆかりのある人々への鎮魂の譜であった」 「正子は「西行」の中で「かたじけなさの涙こぼるる」相手が、なんであったかを問わなかったことが、いかにも西行らしいと書く。すなわちこの詠嘆の基にあるのは、仏教とか神道といった範疇を超えた宗教であり、信仰だったからだ。それを一言で表わすなら、日本人が富士山に対して抱く宗教的心情に代表されるもので、正子は富士は神が住む山ではなく、神そのものなのだと言い切っている」 「稚児の存在なくして、日本の中世文化は語れない」 「ノブレス・オブリージすなわち貴種は、それに応じた義務を背負うという発想は、終生変わらなかった」 「白州正子はつねにいわくいいがたいものを求めてきたからである」 「日本の美のはかなさ、その本質を「無内容」と断じてしまうのは、勇気の要ることであった」 「そしてこの無内容は、「空」に近い無内容だったのである」       馬場 啓一   「白州正子の生き方」       講談社   昭和の時代以降で 日本の美を真剣に求めたのは 文学で川端康成 随筆で白洲正子 日本画で東山魁夷 の三人であろうか その伝統を 受け継ぐ世代が 出てきてほしい ものである 武相荘 囲炉裏の居間