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「古今和歌集 恋歌十選」

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  「ほととぎす鳴くや皐月のあやめぐさ  あやめもしらぬ恋もするかな            詠人不知 」 「すみの江の岸に寄る波夜さへや  夢のかよひぢ人目よくらむ          藤原敏行 」 「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ  夢と知りせば覚めざらましを           小野小町 」 「露ならぬ心を花におきそめて  風吹くごとに物思ひぞつく          紀 貫之 」 「ありあけのつれなく見えし別れより  あかつきばかり憂きものはなし            壬生忠岑 」 「君や来し我や行きけむ思ほへず  夢か現か寝てかさめてか          詠人不知 」 「かきくらす心の闇にまどひきに  夢うつつとは世人さだめよ          在原業平 」 「月やあらぬ春や昔の春ならぬ  わが身ひとつはもとの身にして          在原業平 」 「色見えでうつろふものは世の中の  人の心の花にぞありける           小野小町 」 「人知れず絶えなましかばわびつつも  無き名とぞだにいはましものを            伊 勢 」

「枕草子と中宮定子」

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 「枕草子が中宮定子の頌徳記といわれるのも当然です。枕草子もあらゆる意味で、中宮のおつくりになったもの、といっても過言ではありますまい。心ゆくもの、、うつくしきもの、あてなるもの、心ときめくもの、めでたきもの、すべては中宮のものであり、すべては中宮のことなのです。」      白州正子  「たしなみについて」( 1948 年) 白州正子は、また「歴史を通じて、ほんとうに円満に、すべてを備えた美しい女性といったら、まず第一にあげたくなるのが、この中宮様です。」とも書いている。 白州に言わせれば、清少納言は中宮定子という「美しい姿と心」の、その語り部であったに過ぎないのであろう。 こうしてみると、「枕草子」を産んだ中宮定子、そして「源氏物語」を支えた中宮彰子の二人を后とした、一条天皇とはどのような人物であったのだろう。

「秋 思」

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「永劫の 涯に火燃ゆる 秋思かな         野見山 朱鳥 」 秋の夕陽が めらめらと 燃えながら 遠い山の端に 落ちてゆく わたしの想いが 落ちてゆくのは    ただひとつだけ あの夕陽の 真紅の色のように そう あの女(ひと)のもとへ  

「三尾(さんび)の紅葉」

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 周山街道から登って、三尾さんび(高雄・槇尾・栂尾)の紅葉を見たことがある。その年は冷え込みが厳しかったせいか、例年になく京都も見事な紅葉となっているようで、三尾の紅葉はまさに今が盛りであると思われるほど綺麗であった。 栂尾・高山寺の石水院(国宝)で、「明恵上人樹上座禅像(成仁作)」と黒板に水墨で書かれた「阿留辺幾夜宇和」を見て、後鳥羽院から賜った学問所(石水院)における明恵上人に、少し触れてくることができた。境内の遺香庵の紅色の紅葉が、実に鮮やかであった。 栂尾・高山寺境内の遺香庵の紅葉

「あかあかや月」

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「あかあかやあかあかあかやあかあかや      あかあかあかやあかあかや月             明恵上人 」      中空に かかる 金色の月      この 栂尾(とがのお)の       石水院(せきすいいん)の 縁側に      ひとり 座禅して      月の光に このからだと       こころを 曝す      ああ 天上天下      あるのは       ただ 月と 吾(われ)      そうして 月も 吾も      阿留辺畿夜宇和(あるべきやうわ)      吾の魂は浮遊して   金色の月となり        月もまた吾に入り込み  吾そのものとなる      すべては      あかるく あかるく あかるく      そして ひとつに         明恵上人樹上の図

「川端康成の小説と源氏物語」

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 三島由紀夫は川端文学を評して、「抒情のロマネスク」であると記している。そこでは美徳も悪徳もついには悲しみに紛れ入ってしまう文学であると、三島由紀夫は言っている。 そうした川端文学の中の「美しさと哀しみと」に関して、山折哲雄はこの小説を書いているとき川端は、「源氏物語」を念頭に置いていたのではないかという。 「美しさと哀しみと」のあらすじは、以下のとおりである。 作家の大木年雄は妻子ある身で、十六歳の少女・上野音子と交わり、やがて身ごもった音子は流産する。音子は母親に大木との仲を引き裂かれ、京都でその後画家となっている。 時が流れ、大木はある年の暮れに、音子と京都で再会し除夜の鐘を聞く。その折に大木を京都駅で迎えたのが、音子の内弟子・坂見けい子であった。そしてけい子と音子は、レスビアンの関係であった。 音子を慕っているけい子は、音子がまだ大木を思い続けていることを知って、強い衝撃を受け、嫉妬のほむらを燃え立たせる。けい子は大木に復讐する為に、大木の息子の太一郎を誘い出す。 音子はそれを制止しようとするが、けい子は今度は大木とホテルに泊まる。大木はけい子と一緒になろうとしたときに、けい子が音子の名を呼ぶのを聞き、一つになるのを止める。 終幕はけい子が太一郎を琵琶湖のホテルに誘い出し、モーターボートに二人で乗る。事故が起こって、太一郎は死に、けい子だけが助けられる。 山折哲雄は六条御息所の「もののけ」が葵の上にとり憑いたように、音子の嫉妬心がけい子にとり憑き、その「もののけ」が大木を脅かして、ついに息子の太一郎の命を奪ってしまうという。 「源氏物語」の「もののあわれ」は、「もののけ」の闇の領域と背中合わせであると、山折は記す。それはまた、万葉集の「相聞歌」と「挽歌」の関係の中にも探り出せるという。 切実な愛の歌は、最も親しい者の死の場面において極まるであろう。そして死者との惜別こそが、取り返しのつかぬ恋情を紡ぎ出すからだと山折は言う。 「相聞歌」と「挽歌」の関係は、「もののあわれ」と「もののけ」の相関にそのまま当てはまるわけである。その愛の明暗は、愛の無常である。 相聞の調べが挽歌を包み込んで、「もののあわれ」が「もののけ」の気配を飲み込むとき、愛の歌は無常の旋律を奏でる他はないであろうと、山折は書いている。 「美しさ

「 雨 過 天 晴 」

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 「 雨 過 天 晴 」  -雨が過ぎた直後の、   空の青さのような   青磁の色-  清冽な言葉で、響きも晴朗としています。  この言葉は、陶磁器の美しさを表現する際に  使われるようです。 「 秘 色 (ひそく)」  この青磁のうち、  天子(中国の皇帝)に供する器にのみ、  使われるといいます。  シェークスピアは「マクベス」で、  「どんな荒れ狂う嵐の日も、   時は経つのだ」と書いています。  「 雨 過 天 晴 」の言葉も、  同じように読むことができるのでは  ありますまいか。   八稜浄水秘色青磁瓶(法門寺地宮出土)