「川端康成の小説と源氏物語」
三島由紀夫は川端文学を評して、「抒情のロマネスク」であると記している。そこでは美徳も悪徳もついには悲しみに紛れ入ってしまう文学であると、三島由紀夫は言っている。
そうした川端文学の中の「美しさと哀しみと」に関して、山折哲雄はこの小説を書いているとき川端は、「源氏物語」を念頭に置いていたのではないかという。
「美しさと哀しみと」のあらすじは、以下のとおりである。
作家の大木年雄は妻子ある身で、十六歳の少女・上野音子と交わり、やがて身ごもった音子は流産する。音子は母親に大木との仲を引き裂かれ、京都でその後画家となっている。
時が流れ、大木はある年の暮れに、音子と京都で再会し除夜の鐘を聞く。その折に大木を京都駅で迎えたのが、音子の内弟子・坂見けい子であった。そしてけい子と音子は、レスビアンの関係であった。
音子を慕っているけい子は、音子がまだ大木を思い続けていることを知って、強い衝撃を受け、嫉妬のほむらを燃え立たせる。けい子は大木に復讐する為に、大木の息子の太一郎を誘い出す。
音子はそれを制止しようとするが、けい子は今度は大木とホテルに泊まる。大木はけい子と一緒になろうとしたときに、けい子が音子の名を呼ぶのを聞き、一つになるのを止める。
終幕はけい子が太一郎を琵琶湖のホテルに誘い出し、モーターボートに二人で乗る。事故が起こって、太一郎は死に、けい子だけが助けられる。
山折哲雄は六条御息所の「もののけ」が葵の上にとり憑いたように、音子の嫉妬心がけい子にとり憑き、その「もののけ」が大木を脅かして、ついに息子の太一郎の命を奪ってしまうという。
「源氏物語」の「もののあわれ」は、「もののけ」の闇の領域と背中合わせであると、山折は記す。それはまた、万葉集の「相聞歌」と「挽歌」の関係の中にも探り出せるという。
切実な愛の歌は、最も親しい者の死の場面において極まるであろう。そして死者との惜別こそが、取り返しのつかぬ恋情を紡ぎ出すからだと山折は言う。
「相聞歌」と「挽歌」の関係は、「もののあわれ」と「もののけ」の相関にそのまま当てはまるわけである。その愛の明暗は、愛の無常である。
相聞の調べが挽歌を包み込んで、「もののあわれ」が「もののけ」の気配を飲み込むとき、愛の歌は無常の旋律を奏でる他はないであろうと、山折は書いている。
「美しさと哀しみと」もまた、「相聞の美しさと挽歌の哀しみと」を詠じて、愛の無常の旋律を奏でているのである。
川端は「源氏物語」の現代訳に挑戦しようという考えを、持ち続けていたと言われる。その川端が、「源氏物語」の世界を自らの小説の中に用いることは至極自然であり、日本古来のつまり「万葉集」と「源氏物語」の中に奏でられている「美しさと哀しみと」こそが、この小説の主人公であるのかもしれないのである。
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