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「髪と夢の歌」

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  「眠りつつ 髪をまさぐる 指やさし       夢の中でも 私を抱くの           俵 万智  」 俵 万智は、この短歌を詠む時に 次のどの和歌が 頭の中にあったのだろうか 「黒髪」 黒髪の 乱れも知らず うち臥せば     まづかきやりし 人ぞ恋しき            和泉式部 長からむ 心も知らず 黒髪の     乱れてけさは 物をこそ思へ          待賢門院堀河 かきやりし その黒髪の 筋ごとに    うち臥す程は 面影に立つ          藤原定家 ぬばたまの 妹が黒髪 今夜もか  吾が無き床になびけて寝らむ        柿本人麻呂歌集 「夢」 思ひつつ 寝ればや人の 見えつらむ     夢と知りせば 覚めざらましを             小野小町 うたたねに 恋しき人を 見てしより      夢てふものは 頼み初めてき             小野小町 夢殿

「空の名残 - 徒然草」

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  -某(なにがし)とかやいひし世捨て人の、  「この世のほだし持たらぬ身に、   ただ、空の名残のみぞ惜しき」  と言ひしこそ、まことに、さも覚えぬべけれ-               吉田兼好 「徒然草」    森本哲郎は「空の名残-僕の日本十六景」の中で    文字通りに「空の余光」それこそ    「夕づく日 入りてしまらく 黄なる空の色」    と受け取りたいとしている    夕暮れの空の微妙な移り変わりが    我々の目に映り    心もそれにつれて深い思いに浸される    ---------    万葉集の御代、源氏物語の王朝時代、    平安末期の西行の世界、    鎌倉末期の吉田兼好の「徒然草」、    江戸前期の芭蕉の風雅、    我々日本人は、如何に自然に順応して、    その姿を自分の心に映して    生きてきたことであろう 六義園の夕暮れ

「子曰 知者楽水 仁者楽山」

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子曰 知者楽水 仁者楽山      知者動 仁者静 知者楽 仁者寿 子曰く、知者 ( ちしゃ ) 水を楽しみ、 仁者(じんしゃ) 山を楽しむ。 知者は動き、仁者は静かなり。 知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。          (『論語』雍也篇) 水のようなものの流転の理を知る智の徳 山のような安らぎと静けさを保つ仁の徳 人間としての完成した姿は、山を好む仁者の姿であろう。 しかし、実際には若年から壮年にかけては、智者として活動し、老年に入ってよりは、仁者として心静かに過すのが、もっとも好ましいのであろうか。 行きては到る水の窮まる処 坐しては看る雲の起こる時        王維 「終南別業」 保津川と嵐山の夕景    

「沈黙の日本美」

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    「すぐれた観照者とは、  作者の魂のはたらきを  おのれのものとして  体験できるもののことだ。」                    吉村貞司  「沈黙の日本美」      日本美の探求者に 吉村貞司がいる      その洋の東西に渡る見識の広さ      美を味わう心の深さにおいて      まさに「美のすぐれた観照者」における      第一人者のひとりに挙げられよう      われわれ凡人は 吉村貞司の      眼と心の紡ぎ出す珠玉のごとき文により      より深く日本美を味わうことが      できるのである      彼の本を読んだ御蔭で      その仏像を拝観する折に      どれほどの恩恵を受けたかは      筆舌に尽くしがたい < Remarks > 吉村貞司の書  「川端康成・美と伝統」         「愛と苦悩の古仏」         「古仏の微笑と悲しみ」 原谷苑

「木の下隠り」

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 秋山の 木の下隠り 逝く水の  われこそ益さめ 御思よりは                鏡 王女      あの 貴いお方を 慕いながら      わたくしは 錦繍の秋の山に       ひとり 踏み分けて 入ります      清冽な小川が       金色と茜色に染まった 紅葉の下を      流れ逝きます      わたくしの あのお方への 想いも      木の下の流れのように      表に現れなくとも しめやかに      流れてゆきます      それは あの方の       わたくしへの み想いよりは      さらに いや増して       溢れんばかりの 情愛を湛えて      あのお方にだけ       注ぎこんでゆく流れです      あの 中大兄の皇子さま にだけ 嵯峨野・宝篋院

「幸せな人になる為には」

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「世の中には、蕪村を知っている幸せな人と  蕪村をまだ知らない不幸せなひとしかいない」  という文章を、  森本哲郎の「月は東に-蕪村の夢・漱石の幻」  で読んだ記憶があります。  森本哲郎と私自身の美的感覚が近しいのか、  彼のこの本で、すっかり蕪村のファンになったのは、  もう随分前のことでした。 「愁ひつつ 丘に登れば 花いばら」  この句を読んだときなど、  これはあたかもゲーテの 「童は見たり 野中のばら」  の世界ではないかと、思ったものでした。  郷愁の詩人「与謝蕪村」が、  いかに純粋な心と温かい歌唱力を  生涯持ち続けていたかが、  これらの句でもよく判ります。   野ばら

「芭蕉と蕪村と虚子」

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金福寺にての句    うき我を さびしがらせよ 閑古鳥                        芭蕉    耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵                         蕪村    徂く春や 京を一目の 墓どころ                         虚子     洛東 金福寺             この金福寺には、ご承知のとおり    芭蕉庵がある。        虚子の句のとおり、寺より少し登った    ところにあり、    庵は簡素なものであるが、    京の眺望がよい。    また金福寺は、    井伊直弼の寵愛を一時受け、    その後京の町で、    長野主膳と諜報活動を行った    村山たか女が、    晩年を過ごした寺でもある。