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「子曰 知者楽水 仁者楽山」

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子曰 知者楽水 仁者楽山      知者動 仁者静 知者楽 仁者寿 子曰く、知者 ( ちしゃ ) 水を楽しみ、 仁者(じんしゃ) 山を楽しむ。 知者は動き、仁者は静かなり。 知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し。          (『論語』雍也篇) 水のようなものの流転の理を知る智の徳 山のような安らぎと静けさを保つ仁の徳 人間としての完成した姿は、山を好む仁者の姿であろう。 しかし、実際には若年から壮年にかけては、智者として活動し、老年に入ってよりは、仁者として心静かに過すのが、もっとも好ましいのであろうか。 行きては到る水の窮まる処 坐しては看る雲の起こる時        王維 「終南別業」 保津川と嵐山の夕景    

「沈黙の日本美」

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    「すぐれた観照者とは、  作者の魂のはたらきを  おのれのものとして  体験できるもののことだ。」                    吉村貞司  「沈黙の日本美」      日本美の探求者に 吉村貞司がいる      その洋の東西に渡る見識の広さ      美を味わう心の深さにおいて      まさに「美のすぐれた観照者」における      第一人者のひとりに挙げられよう      われわれ凡人は 吉村貞司の      眼と心の紡ぎ出す珠玉のごとき文により      より深く日本美を味わうことが      できるのである      彼の本を読んだ御蔭で      その仏像を拝観する折に      どれほどの恩恵を受けたかは      筆舌に尽くしがたい < Remarks > 吉村貞司の書  「川端康成・美と伝統」         「愛と苦悩の古仏」         「古仏の微笑と悲しみ」 原谷苑

「木の下隠り」

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 秋山の 木の下隠り 逝く水の  われこそ益さめ 御思よりは                鏡 王女      あの 貴いお方を 慕いながら      わたくしは 錦繍の秋の山に       ひとり 踏み分けて 入ります      清冽な小川が       金色と茜色に染まった 紅葉の下を      流れ逝きます      わたくしの あのお方への 想いも      木の下の流れのように      表に現れなくとも しめやかに      流れてゆきます      それは あの方の       わたくしへの み想いよりは      さらに いや増して       溢れんばかりの 情愛を湛えて      あのお方にだけ       注ぎこんでゆく流れです      あの 中大兄の皇子さま にだけ 嵯峨野・宝篋院

「幸せな人になる為には」

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「世の中には、蕪村を知っている幸せな人と  蕪村をまだ知らない不幸せなひとしかいない」  という文章を、  森本哲郎の「月は東に-蕪村の夢・漱石の幻」  で読んだ記憶があります。  森本哲郎と私自身の美的感覚が近しいのか、  彼のこの本で、すっかり蕪村のファンになったのは、  もう随分前のことでした。 「愁ひつつ 丘に登れば 花いばら」  この句を読んだときなど、  これはあたかもゲーテの 「童は見たり 野中のばら」  の世界ではないかと、思ったものでした。  郷愁の詩人「与謝蕪村」が、  いかに純粋な心と温かい歌唱力を  生涯持ち続けていたかが、  これらの句でもよく判ります。   野ばら

「芭蕉と蕪村と虚子」

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金福寺にての句    うき我を さびしがらせよ 閑古鳥                        芭蕉    耳目肺腸 ここに玉巻く 芭蕉庵                         蕪村    徂く春や 京を一目の 墓どころ                         虚子     洛東 金福寺             この金福寺には、ご承知のとおり    芭蕉庵がある。        虚子の句のとおり、寺より少し登った    ところにあり、    庵は簡素なものであるが、    京の眺望がよい。    また金福寺は、    井伊直弼の寵愛を一時受け、    その後京の町で、    長野主膳と諜報活動を行った    村山たか女が、    晩年を過ごした寺でもある。  

「恋ひ恋ひて」

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  「こひ」は 「恋ひ」「祈ひ」「請ひ」 に繋がるといわれています。 昔の「こひ」は 単に「恋しいこと」だけではなかったようです。 それは「祈り」でもあり また「請願すること」でも あったようです。 「恋ひ恋ひて 逢へるときだに 愛(うつく)しき  言尽くしてよ 長くと念(おも)はば            大伴坂上郎女  」 「愛」を「うつくし」と読み 「念」を「おもう」と読むことも こうしてみれば そこはかとなく ゆかしいものを感じます。 東大寺 二月堂

「茜 さ す」

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          poem by Princess Nukada when        the Emperor went hunting on        the fields of Gamou. Going this way on the crimson-gleaming fields of mursaki grass going that way on the fields of imperial domain --- w'ont the guardians of the fields see you wave your sleeves at me ?       Princess Nukada 」 あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る                     額田王 昔、岩崎ちひろの絵が描かれた「万葉集-恋の歌」という本を読んで、初めて額田王と大海人皇子と中大兄皇子の三角関係を知った。 それが万葉集を拾い読みし始める、きっかけであったとも言える。 額田王の本や、大海人皇子後の天武天皇にかかわる歴史の本も読んだが、この二人ともに出自が曖昧模糊としているのは、皇室が天智王朝であるからともいえようか。 そのことは別にしても、たとえこの歌が一時の座興であったとしても、実際に愛し合い、その間に十市皇女までなした二人の相聞歌は、 自然の中で色めいて、美しい。   『額田女王』