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「川端康成 美と伝統」

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 「川端は異性を情熱のバロックとしてとらえることによって、彼自身の文学を確立した。その記念碑が『雪国』である。川端が求めていたのは美しい肉体をいっそう美しいものにする生命のはげしさであった。」 「結婚も家も社会もまぼろしであり迷いである。生命のほむらのままに女は愛する男にすべてを与えてしまうがいい。そこに女であることの美しさとかなしさと切なさがある。」     吉村 貞司  『川端康成・美と伝統』 愛に情熱といのちを燃やす女の 美しさと切なさを描いた 『雪国』の駒子と葉子 人生の叙情と官能のロマネスク 『美しさと哀しみと』の音子とけい子 この四人いずれもが 一人の女の分身である 愛に命のほむらを燃やし その激しさ切なさゆえに 美しさが際立つのだ

「寧静致遠」

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  「寧静致遠」 心安らかで落ち着いていなければ、 深い真理に達することは出来ない。   三国時代の蜀の宰相・諸葛亮孔明の 息子への遺言の一節だそうです。 浦安・中央公園の桜

「伎芸天」

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諸々のみ佛のなかの伎芸天   何のえにしぞ我を見たまふ         川田 順 数多のみ佛の中で 伎芸天は極めて少ない 有名なのは 秋篠寺の伎芸天である 数多くの文人たちが この夢見心地で 法悦に浸っているみ佛と その肢体の醸し出す 浄化された楽の音に  感動して 短歌や俳句を 捧げている 六三歳の川田が 何のえにしか 三十代後半の 大学教授夫人俊子と出会った 老いらくの恋は 川田が六八歳の時に実を結ぶ 川田にとって 俊子は伎芸天であった 伎芸天

「夜這星」

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  「星はすばる ひこ星 ゆふづつ よばひ星 すこしをかし」            清少納言 「枕草子 」 星と言えば平安時代よりすばる 昴は統(す)ばるに由来し プレアデス星団をさすという 次いでひこ星は彦星 七夕の伝説の牽牛星であり わし座の一等星・アルタイル ゆふづつ(夕星)は金星 宵の明星であり 長庚という 蕪村は 長庚 とも号した よばひ星は夜這星と書き 流星のこと 夏山の金銀砂子の星空に 横たわる銀漢 その銀漢をよぎるほうき星ほど 「おかし」いものはない

『陰翳礼讃』

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  「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの祖先は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがて美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実日本の座敷の美は、まったく陰翳の濃淡によって生まれているので、それ以外に何もない。」           谷崎 潤一郎  『陰翳礼讃』 うす暗い畳の日本間に 障子を通して 陽光が射し込んでくる光景に こころやすまる思いをし 射干玉の暗闇に 蝋燭の弱い光に照らされた 金屏風に美を感じるのが 大和心の美意識ではなかろうか

「言葉というものは」

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  「言葉というものは電光のように通じるもので、それは聞くほうがその言葉を待っているからである」               山本夏彦 言葉は不思議なものである。 受け取る方にその言葉を 待ち受けている心がなければ 如何に良い言葉でも 受け取る相手には通じない しかし受け取る相手が その言葉を待ち受けていれば それは電光のように相手の心に 響き渡り 感動を引き起こす 良い言葉にすぐに反応できるように 日頃から心を磨いて居たいものである 伊吹山

『モツァルトと西行」

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  「モツァルトの光は、バッハのように崇高な、つまり天からだけ落ちてくる光ではない。またベートーベンのように、人間の苦悩する魂から滲みでる神秘的な光でもない。嬰児の笑い声のような明るさ、一種の天と地との間の薄明のような光線が、どこからともなくかれの作曲した音符の一つ一つに射している。 .....  つまり私たちの生まれなかった昔にでも聞いたような、天使の歌の遠いかすかな記憶が蘇るような具合に、モツァルトは歌いかけるのである。」       福永 武彦          『藝術の慰め』 「モツァルト頌」 「西行の和歌を貫くふしぎに透明な気分は、この地上一寸の浄福感からきている。」        上田 三四二         『この世 この生 - 西行 良寛 明恵 道元』 モツァルトが没したのは1791年で、西行が亡くなったのは1190年のその如月の望月の頃である。両者はそれぞれ音楽家と歌人の僧侶であり、その生きた時代も600年の開きがある。しかしその音楽作品と和歌の作品には、天使の歌とでもいえるような共通性がある。俗世間から抜け切れてはいないが、地上一寸浮き出た位置にあって、純粋性と浄福感を併せ持った作品が多いと感じる。 オランダ キューケンホフ公園