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「そうしましょうね?」

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「 そうしましょうね?   愚か者や意地悪い人たちが、  私たちの幸せを妬んだり、  そねんだりするでしょうが、   私たちは出来るだけ高きにあって、  常に寛容でありましょうね。    そうしましょうね? 「希望」が微笑しながら示して呉れる  つつましい道を、  楽しくゆっくりと  私たちはゆきましょうね、 人が見ていようが、 または知らずにいようが、 そんなことにはかまわずに。   暗い森の中のように 恋の中に世をのがれて、 私たちふたつの心が 恋の甘さ楽しさを歌い出すと、 夕ぐれに歌う二羽の鶯のように 聞こえるでしょうね。」    ポール・ヴェルレーヌ    「そうしましょうね?」 ( N’est-ce pas? )       『やさしい歌 一七』 ( La Bonne Chanson ) より 現代の人類が忘れたものばかりで このポエムは作られている 気高さと寛容  希望と慎ましさ 隠棲と洒脱 そして 愛 小夜鳴き鳥  

「翌檜物語」

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  「トオイ トオイ 山ノオクデ フカイ フカイ 雪ニウズモレテ  ツメタイ ツメタイ 雪ニツツマレテ ネムッテシマウノ イツカ」 冴子 「寒月ガカカレバ 君ヲシノブカナ  アシタカヤマノ フモトニ住マウ」  鮎太 「信子の言い方を以ってすると、多くの人間は大抵翌檜だが、大きくなって檜になる歴とした檜の子もその中に混じっている。ただそれの見分けがつきにくいことが問題だと言うのであった」 「誰が檜の子かしら。大澤さんかしら、鮎太さんかしら」 そんなことを信子はよく言った。」          井上 靖 『翌檜物語』   少年たちは皆檜にならんとする翌檜の木だ   そして年上の高貴で見目麗しき女性に憧れる   翌檜の木    Japanese elk horn ceder     多くの少年たちは翌檜のまま大人になる  そして仲間の内から出た檜を賞賛し支えるのだ              翌檜の木

 「うめ 六句」

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  忘るなよ 藪の中なる むめの花              松尾芭蕉   世ににほへ 梅花一枝の みそさざい            松尾芭蕉   しら梅や 誰がむかしより 垣の外            与謝蕪村   散るたびに 老ゆく梅の 木末かな            与謝蕪村   梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈            与謝蕪村   梅咲や せうじに猫の 影法師             小林一茶   梅さけど 鶯(うぐいす)なけど ひとり哉             小林一茶   この六句の中では、やはり蕪村の   梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈 が好みである。   蕪村と言えば六五歳の時に   祇園の芸妓小糸に入れ込み、   門人から注意を受けて、   老いらくの恋を断ち切ったらしい。   老が恋 忘れんとすれば 時雨かな  蕪村   詳しくは葉室麟の『恋しぐれ』をお読み頂きたい。

「人生(LEBEN)」

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  Leben ( 人生)は Prozess der Reinigung (浄化の過程) として初めて意義あり Reingung の目標は Das Gute, Das Schön e . (善と美)    阿部 次郎 『三太郎の日記』 子供から大人へと孵化しえたのは 『三太郎の日記』と邂逅することが 出来たからであった 人生について多少とも 考えるようになったのは この本が契機となった 最も純真な年代に読書という 疑似体験で清濁混淆の人生を知り そうして社会人となって 濁世の喜怒哀楽を味わってきた 半生を回顧すれば世俗の塵芥を 払いのけてきたのは 文藝による浄化ではなかったか そして 善くなろうとする祈り 美しく生きたいという矜持 であったかもしれない サント・シャペル シテ島 パリ

 「長恨歌」

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  七月七日長生殿 夜半無人私語時   七月七日、長生殿 誰もいない夜半に 二人は親しく語りあった 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝   天にありては願わくは比翼の鳥となり  地にありては 願わくは連理の枝となりたい 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期   天地は長く久しいが いつかは尽きる時がある しかしこの悲しみは綿々として 決して絶えることはないでだろう      白楽天 『長恨歌』より   七三五年に十六歳の楊玉環は、唐の第六代皇帝玄宗の皇太子寿王の妃となるが、七四〇年二一歳の時に五五歳の玄宗皇帝に見初められ、玄宗の寵妃となる。 745 年に貴妃として冊立さる。七五六年安史の乱で逃亡中に死を賜る。玄宗七〇歳、楊貴妃三七歳の時である。   それからおよそ五〇年後の八〇六年に、白楽天により「長恨歌」が書かれた。そしてそれは『白氏文集』の中の著名な詩として、一〇〇〇年頃に日本の平安時代でよく読まれ、清少納言や紫式部にも愛読されたようである。   安史の乱で本当に国を傾けたゆえ、楊貴妃は「傾城の美女」と言われ世界三大美人の一人とされる。残る二人はギリシャ神話のヘレネ―、とクレオパトラ七世であるが、日本の場合にはヘレネ―の代わりに小野小町が入る。   また 古代 中国四大美人 は、 西施 ・ 王昭君 ・ 貂蝉 ・楊貴妃 である。貂蝉は架空の人物で、   三国志の最高の美女 貂蝉(ちょうせん) は 王允の策略により董卓と呂布の仲違いをさせることに 成功さ せた美女という。 下記は華清池である。

「空ぞ忘れぬ」

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時鳥そのかみやまの旅枕      ほのかたらひし空ぞ忘れぬ       式子内親王 「花にもの思ふ春」と言う白洲正子の本の題名は、式子内親王の歌から取っており、それを又私はこの詞華集の名前としたものである。 白洲正子に可愛がられた水原紫苑は、上記の式子内親王の和歌から自分の本の題名を、「空ぞ忘れぬ」としている。 九百年前の和歌が、こうして現代の文学に蘇るとは、言葉の力の何と強靭なものであろう。 上賀茂神社

「その貫通するもの」

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「西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休が茶における、その貫通するものは一なり」                芭蕉 『笈の小文』 川端康成集で印象的なのは、いずれも「あなたはいまどこにおいでなのでしょうか」で始まる『反橋』『しぐれ』『住吉』の小編三編である。この三編に通底しているものは、『住吉物語』や和歌などの王朝文化であり、東山文化、連歌・俳諧や文人画であるが、「近代の魂の病から出発したような」スウチンそしてアルブレヒト・デュウラアという西洋画も取り上げている。この三編に取り上げられていることは、ノーベル文学賞記念講演の『美しい日本の私』の基礎になっていると思うが、その講演内容には日本の文化にとって重要な位置を占めている芭蕉の名前がないのは不思議である。一方『しぐれ』には芭蕉の上記の文章が引用されている。   「カーニュの風景」 スウチン