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「美しい花がある」 他

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  「美しい花がある  花が美しいのではない」       小林秀雄   「不思議なことに美しいものは、  印象が薄れるどころか、私の心の中で、  ますます大きく育つかのようです」       「たいせつなのは、  ほんとうにうつくしいものを  見つけて知ることね」 「善悪は一枚の紙の裏表にすぎない。 幸福といい不幸というも」 「「老木に花の咲かんがごとし」 という形容を世阿弥はたびたび用いて、 老人になってからの芸がいかに大切か、 人生の最後に咲いた花こそ、 「まことの花」であると 繰り返し説いています」 「私が欲しいものは、 ” 語り合えるもの ” だった」 「知識や教養などは自己を磨く道具にすぎず、 極論すれば、これらを道具の一つとして、 一心不乱に自己を高めて行く以外、 人間としてはやるべき仕事はない といってもいい」 「一期一会とは、私流に解釈すれば、 結局、自分自身に出会うことである (他人の中における自分に)」 「物心一如」     上記  白洲正子 『行雲抄』 「見る処花にあらずといふ事なし。  思ふ所月にあらずといふ事なし」    芭蕉 酔芙蓉

「小夜の中山」

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  「年たけて また越ゆべしと 思ひきや  命なりけり 小夜の中山    西行 新古今和歌集 九八七 」 ここは 掛川 小夜の中山 東海道中の 難所のひとつ そして 歌枕の地 ここを越えれば 異郷の地 吾妻の国 振り返れば 四十年振りなのだ この 小夜の中山を 越すのは 鳥羽院にお仕えした 北面の武士の頃 中宮 待賢門院璋子さまの  みめ麗しきお姿 出家と 陸奥・出羽への行脚 中宮さまの 法金剛院での お隠れ 高野山での きびしき修験道 中宮さまの御子 崇徳院の    おいたわしい最期 讃岐の国 善通寺での 慰霊       思えば はるけくも    この無常の世の中を 歩んで きたものだ 毎春の 桜花を たよりとして そうして 七十路のこの歳で 東大寺の 重源殿の頼みで 大仏再建のため 東国へ    砂金勧請の旅 ああ こうして もう一度 この小夜の中山の地を 踏もうとは 変わらぬ 山並みと  はるかなる 東の国 この与えられた 余命を  尽くそう 私の命を この天地と 同化させて 残りの道を 歩むのだ 小夜の中山 夜泣石

「衣通姫(そとおりひめ)」

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 軽太子(かるのひつぎのみこ)軽大郎女 (おおいらつめ)に奸(たは)く。この 故にその太子を伊予の湯に流す。この時 に衣通王(そとおりのおおきみ)、恋慕 (しの)ひ堪(あ)へずして追い往(ゆ) くときに、歌ひて曰く 「君が行く日(け) 長くなりぬ  やまたづの  迎かへを行かむ 待つには待たじ          軽大郎女 」  第十九代允恭天皇の皇太子木梨軽皇子 (きなしかるのみこ)は容貌佳麗 (かたちきらきら)しかったが、 同母妹(いろも)で艶妙(かほよ)しの 軽大娘皇女(かるのおおいらつめの ひめみこ)と親々相奸(はらからどちたは) けたるゆえ、伊予の湯(道後温泉)に 流された。 この歌はまた、磐姫皇后(いわのひめの おおきみ)が、仁徳天皇を想って詠ったとも 言われている。 「君が行き日 長くなりぬ 山尋ね   迎えか行かむ 待ちにか待たむ           磐姫皇后 」  軽大郎女は、身体の美しさが、 衣を通して表れることから、衣通姫 と呼ばれた。 「その身の光、衣より通り出づればなり」              古事記 「その艶(にほ)へる色は、衣を徹(とほ)  りて晃(て)れり」             日本書紀 小石川植物園 ソメイヨシノ衣通姫       

「人間をつくる」

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  「人間をつくると言うこと以外のところに、  人間としての仕事はないということ」  白洲正子(一九四八年)   「たしなみについて」   人間をつくる 自らの人間をつくり 伴侶の人間をつくり  子供の人間をつくり そうして 自分の 身の回りの人間をつくる だが 我々凡人には 自分以外の  人間をつくることは 多分 不可能であろう ならば 為すことは ただひとつ 自分の人間を つくること そうなのだろう 人間は 何年もかかって  このことに気づくのだ しかも ほとんど  人生の 終わりに近づいた頃に しかし 白洲正子は  これに四十歳少し前に 気づいた これが 彼女が 六十歳以降に  大きく 花開いた その根本とも いえよう われらも これを真似び 倣い  白洲正子に 導かれて 歩もう

「鬼 女」

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  「この樹登らば      鬼女となるべし      夕紅葉     三橋 鷹女  」 夕陽は 西山に沈みかけ 深紅の紅葉は まさに  燃えんとする色 わたしの こころも からだも 夕陽と 夕紅葉に 染められて ああ 今なら なれるだろう 日常的な すべてを 捨て去り わたしの うちなる  烈しい 魂(たま)そのものに この樹に 登れば あの 戸隠山の  紅葉姫のように 鬼女に  戸隠山の鏡池

「旧大臣家の権力奪還」

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「故大納言の遺志で、桐壺更衣は後宮に入り、桐壺帝も左右の大臣家からの縛り付けに対する抵抗として、桐壺更衣を寵愛したのではないか」                 秋山 虔 桐壺の更衣と明石の入道はいとこ同士である。 明石の入道の父親が大臣で、桐壺更衣の父親が大納言。 この両家のもととなるのは故大納言の旧大臣家で、現在の左右の大臣家の以前に栄えた旧大臣家という設定である。 その旧大臣家の権力奪還の物語が、「源氏物語」の前編とも言えようか。 まず桐壺の更衣が死を賭して光源氏を産み、又いとこ同士の明石の上と交わって、明石の姫君を作って、今生帝に入内させる。 旧大臣家の権力奪還は、これにより成し遂げられたのである。   明石の中宮

「ふらここ」

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  「秋千や 桜の花を 持ちながら             小林一茶 」 ぶらんこはふらこことも呼ばれ 漢字では鞦韆とも秋千とも書くようである その起源はギリシャにあるらしく アレキサンダー大王の東征と共に 中国にも渡った 蘇東坡の詩「鞦韆院落夜沈沈」 ヨーロッパではローマを経て 十八世紀のロココ派 ワット-やフラゴナールの絵に 有名である フラゴナール 「鞦韆」