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「桜の和歌」

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桜の和歌で、好きな歌は下記の通りです。 世の中に たへて桜の なかりせば  春のこころは のどけからまし                  在原業平 花の色は うつりにけりな いたずらに    我が身世にふる ながめせしまに              小野小町 さくら花 散りぬる風の なごりには    水なき空に 波ぞ立ちける                    紀 貫之 さくら花 にほふともなく 春来れば    などか嘆きの 茂りのみ増す                   伊 勢 花に染む こころのいかで 残りけむ    捨て果ててきと おもふ我が身に                西 行 春の夜の 夢の浮橋 とだえして    峰にわかるる 横雲の空                       藤原定家 花をのみ 待つらむ人に やまざとの    雪間の草の 春を見せばや                   藤原家隆 風さそふ 寝覚めの袖の 花の香に    薫る枕の 春の夜の夢                      俊成女   秩父 清雲寺

「雪はげし」

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  「雪はげし抱かれて息のつまりしこと」            橋本 多佳子 雪はしんしんと あの方への想いのように 降り積もり 今宵 白い足跡を造りつつ 古き寺に至れば 軒端の下で あの方に、、、 白い息のあとさへ 消えて 時すらも 止まって 雪の清水寺

「 秋 二 題 」

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「行く秋や 手をひろげたる 栗のいが」 「この道や 行く人なしに 秋の暮」                芭 蕉 この二つの俳句を、芭蕉作と知らずに読んだとき、 これらの句を、私たちは名句と 思うであろうか。 誰でもが作れそうな句である。 しかし実際に作ることは難しい。 そして、句の中身は 「無内容」とも言うべきものである。  我が敬愛する白洲正子は、 「日本の和歌の本質は、 無内容である」と言ったという。 嵯峨野 常寂光寺  

「紅 旗 征 戎」

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  「紅旗征戎 吾事にあらず」        藤原 定家 「明月記」 定家は、まさに激動の時代を生きた 後鳥羽上皇を中心とした    王朝時代最後の 華やかな 歌合と宴 新古今和歌集のための 千五百番歌合せ 水無瀬離宮での 恋十五首歌合せ そうして 承久の変 後鳥羽上皇の 隠岐遠島(おんとう) 政争や戦さは 吾事にあらずとした その定家も また 大きな時代の 荒波のうねりに   翻弄された その残り香こそ 百人一首 二尊院 時雨亭跡

「萩こぼる」

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 「いにしへの 女人の歎き 萩こぼる」              伊藤 敬子 いにしへ 世は平安王朝から 鎌倉幕府へ 壇ノ浦に入水して果てた 資盛を偲んで 数々の歌を詠じた日々 建礼門院を訪れた寂光院の その庭に はらはらと 涙のように散る 萩 「なべて世のはかなきことをかなしとは         かかる夢見ぬ人やいひけむ」       建礼門院右京太夫         (家集 223 )

「IF THE STAR 」

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  「 If the star should appear one night   in thousand years   how would men believe and adore   and preserve for many generations   the remembrance of the city of God. 」              Ralf Emerson かの英国のロマン派詩人 バイロンが歌ったように 地上の青暗き王冠である美しい星空 これが何千年に一度しか見れないものであれば 人類はあれこそが神の国の現われなんだと その星空への憬れと信仰を 何世代にも亘って語り続けたことだろう エマーソンはそのように言う この文章の美しさと崇高さ そうして天空をも含めた 大自然の美しさと崇高さ そして我々人間存在もまた その一部であり得ること

「あくがるる 心はさても」

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  「敷島の やまと心を 人問はば      朝日に匂ふ 山桜花               本居宣長」 これは「花は桜 人は武士」の言葉と、桜の落花と戦争での散華を重ね合わせたイメージで、潔く散る武士(もののふ)のやまと魂を表現した歌のように、解釈されてきました。 でも実際はもっと素直に、日本人の心のありかを表わしたものなのでしょうね。 「あくがるる 心はさても 山ざくら    ちりなんのちや 身にかへるべき         西行[新後撰 91 ]」 山桜の歌は、何といっても西行が一番だと思います。 市ヶ谷 新見附橋