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「寧静致遠」

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  「寧静致遠」 心安らかで落ち着いていなければ、 深い真理に達することは出来ない。   三国時代の蜀の宰相・諸葛亮孔明の 息子への遺言の一節だそうです。 浦安・中央公園の桜

「伎芸天」

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諸々のみ佛のなかの伎芸天   何のえにしぞ我を見たまふ         川田 順 数多のみ佛の中で 伎芸天は極めて少ない 有名なのは 秋篠寺の伎芸天である 数多くの文人たちが この夢見心地で 法悦に浸っているみ佛と その肢体の醸し出す 浄化された楽の音に  感動して 短歌や俳句を 捧げている 六三歳の川田が 何のえにしか 三十代後半の 大学教授夫人俊子と出会った 老いらくの恋は 川田が六八歳の時に実を結ぶ 川田にとって 俊子は伎芸天であった 伎芸天

「夜這星」

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  「星はすばる ひこ星 ゆふづつ よばひ星 すこしをかし」            清少納言 「枕草子 」 星と言えば平安時代よりすばる 昴は統(す)ばるに由来し プレアデス星団をさすという 次いでひこ星は彦星 七夕の伝説の牽牛星であり わし座の一等星・アルタイル ゆふづつ(夕星)は金星 宵の明星であり 長庚という 蕪村は 長庚 とも号した よばひ星は夜這星と書き 流星のこと 夏山の金銀砂子の星空に 横たわる銀漢 その銀漢をよぎるほうき星ほど 「おかし」いものはない

『陰翳礼讃』

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  「暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの祖先は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがて美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実日本の座敷の美は、まったく陰翳の濃淡によって生まれているので、それ以外に何もない。」           谷崎 潤一郎  『陰翳礼讃』 うす暗い畳の日本間に 障子を通して 陽光が射し込んでくる光景に こころやすまる思いをし 射干玉の暗闇に 蝋燭の弱い光に照らされた 金屏風に美を感じるのが 大和心の美意識ではなかろうか

「言葉というものは」

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  「言葉というものは電光のように通じるもので、それは聞くほうがその言葉を待っているからである」               山本夏彦 言葉は不思議なものである。 受け取る方にその言葉を 待ち受けている心がなければ 如何に良い言葉でも 受け取る相手には通じない しかし受け取る相手が その言葉を待ち受けていれば それは電光のように相手の心に 響き渡り 感動を引き起こす 良い言葉にすぐに反応できるように 日頃から心を磨いて居たいものである 伊吹山

『モツァルトと西行」

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  「モツァルトの光は、バッハのように崇高な、つまり天からだけ落ちてくる光ではない。またベートーベンのように、人間の苦悩する魂から滲みでる神秘的な光でもない。嬰児の笑い声のような明るさ、一種の天と地との間の薄明のような光線が、どこからともなくかれの作曲した音符の一つ一つに射している。 .....  つまり私たちの生まれなかった昔にでも聞いたような、天使の歌の遠いかすかな記憶が蘇るような具合に、モツァルトは歌いかけるのである。」       福永 武彦          『藝術の慰め』 「モツァルト頌」 「西行の和歌を貫くふしぎに透明な気分は、この地上一寸の浄福感からきている。」        上田 三四二         『この世 この生 - 西行 良寛 明恵 道元』 モツァルトが没したのは1791年で、西行が亡くなったのは1190年のその如月の望月の頃である。両者はそれぞれ音楽家と歌人の僧侶であり、その生きた時代も600年の開きがある。しかしその音楽作品と和歌の作品には、天使の歌とでもいえるような共通性がある。俗世間から抜け切れてはいないが、地上一寸浮き出た位置にあって、純粋性と浄福感を併せ持った作品が多いと感じる。 オランダ キューケンホフ公園

「心あかるければ」

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  「心あかるければ、世明るし。心深けれは、世深し」         「安岡正篤(まさひろ)一日一言」から 世の中のことも、自分自身のことも 全ては心の持ちよう次第 苦しみと喜びも 受け取り様次第 苦しみは 災難と受け取るか 試練と受け取るか 喜びは 自分の力と思うか 人様のお蔭と思うか わかっていても 自分の心を制御するのは 簡単ではない 鍋島松濤公園