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『モツァルトと西行」

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  「モツァルトの光は、バッハのように崇高な、つまり天からだけ落ちてくる光ではない。またベートーベンのように、人間の苦悩する魂から滲みでる神秘的な光でもない。嬰児の笑い声のような明るさ、一種の天と地との間の薄明のような光線が、どこからともなくかれの作曲した音符の一つ一つに射している。 .....  つまり私たちの生まれなかった昔にでも聞いたような、天使の歌の遠いかすかな記憶が蘇るような具合に、モツァルトは歌いかけるのである。」       福永 武彦          『藝術の慰め』 「モツァルト頌」 「西行の和歌を貫くふしぎに透明な気分は、この地上一寸の浄福感からきている。」        上田 三四二         『この世 この生 - 西行 良寛 明恵 道元』 モツァルトが没したのは1791年で、西行が亡くなったのは1190年のその如月の望月の頃である。両者はそれぞれ音楽家と歌人の僧侶であり、その生きた時代も600年の開きがある。しかしその音楽作品と和歌の作品には、天使の歌とでもいえるような共通性がある。俗世間から抜け切れてはいないが、地上一寸浮き出た位置にあって、純粋性と浄福感を併せ持った作品が多いと感じる。 オランダ キューケンホフ公園

「心あかるければ」

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  「心あかるければ、世明るし。心深けれは、世深し」         「安岡正篤(まさひろ)一日一言」から 世の中のことも、自分自身のことも 全ては心の持ちよう次第 苦しみと喜びも 受け取り様次第 苦しみは 災難と受け取るか 試練と受け取るか 喜びは 自分の力と思うか 人様のお蔭と思うか わかっていても 自分の心を制御するのは 簡単ではない 鍋島松濤公園

「花筐」

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花がたみ 目ならぶ人の あまたあれば    忘られぬらむ 数ならなくに         詠人不知  花かごのなかに 並んでいる花のように あなたさまには 沢山の女人がおいででしょうから ものの数に入らないわたしなど もうお忘れでございましょう *   花筐は 男大迹王(継体天皇) を慕って  形見の花筐をもって都へと  狂い出た 照日の前 がシテの狂女物の 能 。  世阿弥作。 上村松園 「花筐」 花かごの中にいろいろと花があるのを選ぶように、選べる相手がたくさんいるので、忘れられてしまったのでしょう、物の数にも入らない私は 、   花がたみ  目ならぶ人の  あまたあれば  忘られぬらむ  数ならぬ身は

「幸せと喜び」

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 幸せになるには必ず何かがなくてはいけなくて、それがあるから幸せなのだ。つまり外界に依存した感情なのだ。  喜びには、そんなものはいらない。眼に見える理由が何一つなくても、私達を包みまるで太陽みたいに自分自身の核を燃やしながら燃え続ける。    「心のおもむくままに」 スザンナ・タマーロ著 『幸せ』=ある人たちといること      あるものを手にしたこと      ある環境にいること   対象もしくは 環境と言う外部的なものにより生ずるもの   受動的幸福感・時限性   『喜び』=ある人たちを愛していること      ある心の状態にいること   精神的もしくは心に関わる内部的なものに   より生じるもの   能動的幸福感・永続性 人間はいつも自分の人生の中にあって、自分ですべてを決定することは出来ない。しかし少なくとも自分で決定できる範囲での自分の生き方は、 自分が主人公となって決定してゆきたい。 そして自分の人生の中で、出来うる限り大きな「喜怒哀楽」を味わっておきたい。自分が選んだ生き方の中で、他者との心の通うかかわりを持って、しっかりと 「喜怒哀楽」を味わうこと。このことが「生きている実感」であり、「生命の燃焼」に繋がるのではなかろうか。 ジヴェルニーのモネの邸宅

「キリストに倣いて」

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「自分に打ち克ち、日毎より強くなり、いくらでも特に進むことが出来ることが、私共の務めでなければならない。」 「すべての言葉や本能を軽々しく信ずるな。むしろ慎重に、気長に、神のみ旨に従って、事をはからねばならない。」 「自分を、自分以上のものに見せようとするな。」     トーマス・ア・ケンピス  『キリストに倣いて』 この本は、広島のN町教会のH神父さんより 二十歳の誕生日に頂いたものである。 時々好きなところを開けて、拾い読みをしてきた。 トーマスはドイツのケルン近郊のケンペン生まれで、 生年1379年、没年1471年である。  ア・ケンピスとは、ケンペン出身のという意味である。 ヴィンチ村のダ・ヴィンチと同じである。 『キリストに倣いて』(『イミタチオ・クリスティ』)は 黙想と祈りを通して神にいたる道を説く著作である。 トーマス・ア・ケンピス

「春の坂」

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春の坂のぼりて恋の願かけに      黛まどか 『京都の恋』 春の産寧坂を ひたすらに清水さんへと のぼる乙女 やっと本堂へ着き 本尊の十一面観世音に 手を合わす どうぞかなえておくれやす 思い人を目に浮かべ 音羽の山に願かける 舞台に出れば花盛り 京洛の町 一望に  

「ボストン美術館」

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『我々は何処から来たのか、  我々は何者か、   我々は何処へ行くのか』 一八九七—九八年    ボストン美術館の中では、ゴーギャンのタヒチでの絵画である『 D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ? 』が特に印象深い。横に長い大きな絵画であり、タヒチの風景の中にタヒチの女たちが大勢描かれていて、右端の幼児から左端の老婆まで、人の一生が描かれている。絵画の題名の方も、また長くて哲学的な名前であり、これを見た人は一生忘れないであろう絵画であると言える。  それ以外に衝撃を受けたのは、浮世絵のコレクションの多さであった。日本美術に造詣が深いアーネスト・フェロノサがボストン美術館の日本部(後に東洋部)の初代部長となったのは、日本政府の依頼を受けて、日本の美術品や秘仏を再発掘して帰国した後のことであった。奈良では、岡倉天心を従えて、法隆寺の秘仏・夢殿観音や聖林寺の秘仏・十一面観音菩薩の禁を解かせて、調査をしたことはよく知られている。フェノロサは廃れようとしていた日本美術や仏像を、再評価して保存を促してくれた日本文化保存の恩人であると言える。岡倉天心も後に同美術館の東洋部長となっている。