『モツァルトと西行」
「モツァルトの光は、バッハのように崇高な、つまり天からだけ落ちてくる光ではない。またベートーベンのように、人間の苦悩する魂から滲みでる神秘的な光でもない。嬰児の笑い声のような明るさ、一種の天と地との間の薄明のような光線が、どこからともなくかれの作曲した音符の一つ一つに射している。 ..... つまり私たちの生まれなかった昔にでも聞いたような、天使の歌の遠いかすかな記憶が蘇るような具合に、モツァルトは歌いかけるのである。」 福永 武彦 『藝術の慰め』 「モツァルト頌」 「西行の和歌を貫くふしぎに透明な気分は、この地上一寸の浄福感からきている。」 上田 三四二 『この世 この生 - 西行 良寛 明恵 道元』 モツァルトが没したのは1791年で、西行が亡くなったのは1190年のその如月の望月の頃である。両者はそれぞれ音楽家と歌人の僧侶であり、その生きた時代も600年の開きがある。しかしその音楽作品と和歌の作品には、天使の歌とでもいえるような共通性がある。俗世間から抜け切れてはいないが、地上一寸浮き出た位置にあって、純粋性と浄福感を併せ持った作品が多いと感じる。 オランダ キューケンホフ公園