「世間とか人の言葉というものに耳を貸さず、自分が一番いいと思ったことだけをする」 「白州正子は自らを西行たらん、と考えたのである」 「聖なるものの美と俗なるもののエネルギーの再発見。そしてそれをわが身にひきつけること。これが彼女の旅の姿であった」 「「かくれ里」と「西国巡礼」。それは、大きな意味での日本賛歌であり、同時に土地土地にゆかりのある人々への鎮魂の譜であった」 「正子は「西行」の中で「かたじけなさの涙こぼるる」相手が、なんであったかを問わなかったことが、いかにも西行らしいと書く。すなわちこの詠嘆の基にあるのは、仏教とか神道といった範疇を超えた宗教であり、信仰だったからだ。それを一言で表わすなら、日本人が富士山に対して抱く宗教的心情に代表されるもので、正子は富士は神が住む山ではなく、神そのものなのだと言い切っている」 「稚児の存在なくして、日本の中世文化は語れない」 「ノブレス・オブリージすなわち貴種は、それに応じた義務を背負うという発想は、終生変わらなかった」 「白州正子はつねにいわくいいがたいものを求めてきたからである」 「日本の美のはかなさ、その本質を「無内容」と断じてしまうのは、勇気の要ることであった」 「そしてこの無内容は、「空」に近い無内容だったのである」 馬場 啓一 「白州正子の生き方」 講談社 昭和の時代以降で 日本の美を真剣に求めたのは 文学で川端康成 随筆で白洲正子 日本画で東山魁夷 の三人であろうか その伝統を 受け継ぐ世代が 出てきてほしい ものである 武相荘 囲炉裏の居間