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「神子ざくら」

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「若狭のどこかに『神子ざくら』といって、大そうきれいな花があることを聞いていたが、へんぴな所らしく、京都でたずねてみても誰も知っている人はいない。仕方なしに、東京の編集者さんにしらべて貰うと、それは敦賀と小浜の間につき出た、常神半島の一角にある、神子部落という村で、桜は満開だから、今日明日にも来い、ということである。電話に出たのは、その村の区長さんで、京都からくるなら、車の方がいい、敦賀に出て、国道を西へ行くと、三方という町がある、そこで聞けばわかると、ことこまやかに教えて下さった。」 「神子に近づくにしたがい、大木の桜があちらこちらに見えはじめ、塩坂、遊子、小川を過ぎ、最後の岬を回ったとたん、山から下の浜へかけて、いっきに崩れ落ちる花の滝が現出した。人に聞くまでもなく、それが名におう『神子ざくら』であった。」 「嘗ての嵐山も、ほぼこれに近い盛観だったのではあるまいか。区長の松岡さんに伺ったところによると、この桜は観賞用に植えたものではなく、ころび(桐実と書く、油をとる木)の畑の境界に植えたものとかで、村人の生活と結びついていたために、手入れもよく行きとどいた。そういわれてみると、やや正確な井桁模様に咲いており、そういう風習がなくなった今日、保って行くのは大変なことではないかと思う。  神子は古く『御賀尾』と書き、それがつまってミコと呼ばれるようになったと聞く。だが、古い歴史を持つ土地がらであってみれば、必ず神様と関係があったに違いない。」    白洲 正子  『かくれ里』「花をもとめて」 先月インターネット俳句会で、 次の拙句を提出した。 海鼠食べ 若狭の顔に なりし妻    予期せぬことに「天」の評価を頂いた。 最初に神子の妻の実家を訪れた時は 何度も九十九折りの海岸線を走るので この世の果てに連れてゆかれるのか と思った。 神子ざくら

「星の王子さまと赤いバラ」

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アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの『星の王子さま』の中で、印象的な文章は、下記の通りです。 If someone loves a flower of which just one single blossom grows in all the millions and millions of stars it is enough to make him happy just look at the stars. Wenn einer eine Blume liebt die es nur ein einziges Mal gibt auf allen Millionen und Millionen Sternen dann genuegt es ihm voellig dass er zu ihnen hinaufschaut um gluecklich zu sein. Si quelqu'un aime une fleur qui n'existe qu'a un exemplaire dans les millions et les millions d'etoiles ca suffit pour qu'il soit heureux quand il les regarde. 『だれかが、なん百万もの星のどれかに咲いている、たった一輪の花がすきだったら、その人は、そのたくさんの星をながめるだけで、しあわせになれるんだ。』   サンテックスのフル・ネームは、 アントワーヌ・マリー・ジャン=バティスト・ロジェ・ド・サン=テグジュペリ (Antoine Marie Jean-Baptiste Roger, comte de Saint-Exupéry)だそうです。 リヨンの伯爵家に生まれました。経歴はご存じの通りですが、『星の王子さま』に出てくる赤いバラは、妻コンスエロのことではないかと言われているようです。 またサンテックスは、偵察飛行中にマルセイユ沖でドイツ空軍に撃墜されたようですが、搭乗していた ロッキード F-5B( P-38 の偵察型)、搭乗していたで米国製でした。そしてP-38 ライトニングは、ブーゲンビルで山本五十六長官の飛行機を撃墜したことで有名でもありました。  

「雪月花の時」

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  「雪月花の時、最も友を思ふ」  白楽天(白居易) THE TIME OF THE SNOWS, OF THE MOON, OF THE BLOSSOMS - THEN MORE THAN EVER WE THINK OF OUR COMRADES.   原詩は下記の通りです。   寄殷協律 五歳優游同過日 一朝消散似浮雲  琴詩酒伴皆抛我 雪月花時最憶君   幾度聽鷄歌白日 亦曾騎馬詠紅裙  呉娘暮雨蕭蕭曲 自別江南更不聞 殷協律(いんきょうりつ)に寄す            五歳の優游 同(とも)に日を過ごし 一朝消散して浮雲に似たり 琴詩酒の伴(とも)皆我を抛(なげう)ち 雪月花の時 最も君を憶(おも)ふ 幾度(いくたび)か鶏を聴き白日を歌ひ 亦た曾て馬に騎(の) 紅裙(こうくん)を詠ず 呉娘(ごじょう)の暮雨(ぼう) 蕭蕭(しょうしょう)の曲 江南に別れてより更に聞かず 五年の間、君と過ごした楽しい日々は、ある朝、浮雲のように消え去ってしまった。 琴・詩・酒を楽しんだ仲間は、皆私の前からいなくなり、 雪・月・花の時期には、君をひたすら思い出す。 何回「黄鶏」の歌を聴き、「白日」の曲を歌ったろう。 馬にまたがり、紅衣を着た美人を詠じたこともあった。 呉娘の「暮雨蕭々」の曲は、江南で君と別れてから、一度も聞いていない。 ※殷協律:白楽天が杭州、蘇州刺史だった時の属官。   ○大和二年(828)、一時洛陽に赴いた時の作。 ○詩を寄せた殷協律は、杭州・蘇州での属官にして遊び仲間。 ○ここでは特に江南での遊びを懐かしんでいる。   この詩句がもととなり、「雪月花」は四季の代表的風物をあらわす日本語として定着した。 いくとせの いく万代か 君が代に  雪月花の ともを待ちけん (式子内親王『正治初度百首』) 白妙の 色はひとつに 身にしめど  雪月花の をりふしは見つ (藤原定家『拾遺愚草員外』)

「若狭なる」

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若狭なる三方の海の浜きよみ  いゆきかへらひ見れどあかぬかも (若狭の三方湖の浜は清らかなので、  行きも帰りも見るが見飽きることはない)     詠み人知らず       『万葉集』 巻七 一一七七 常神半島の由来は神功皇后を祀る常神社によるものと言われ、半島の先にある御神島には神が宿っていて、様々な厄災から人々を守ったという。『古事記』には、神功皇后が熊襲征伐に向かう時、角鹿(敦賀)を出て淳田門(ぬたのと)で食事をしたとき、鯛が沢山寄ってきて、神功皇后がお酒を与えると鯛がまどろんで皆浮かんできたという。それ以来、常神半島辺りでは五月になると鯛がよく釣れるという「まどろみ鯛伝説」があるという。神功皇后は息長一族に属しており、古代には近江国坂田郡を根拠地にして、若狭や敦賀一帯を治めていたという。 以下は私見であるが、神功皇后の神から由来しているという説明も肯けるが、表日本であった若狭一帯は朝鮮半島からの入り口でもあり、常神や神子という名前についている神は、韓の国からの渡来人を神として受け入れたという背景もあったのではなかろうか。   常神半島

「そうしましょうね?」

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「 そうしましょうね?   愚か者や意地悪い人たちが、  私たちの幸せを妬んだり、  そねんだりするでしょうが、   私たちは出来るだけ高きにあって、  常に寛容でありましょうね。    そうしましょうね? 「希望」が微笑しながら示して呉れる  つつましい道を、  楽しくゆっくりと  私たちはゆきましょうね、 人が見ていようが、 または知らずにいようが、 そんなことにはかまわずに。   暗い森の中のように 恋の中に世をのがれて、 私たちふたつの心が 恋の甘さ楽しさを歌い出すと、 夕ぐれに歌う二羽の鶯のように 聞こえるでしょうね。」    ポール・ヴェルレーヌ    「そうしましょうね?」 ( N’est-ce pas? )       『やさしい歌 一七』 ( La Bonne Chanson ) より 現代の人類が忘れたものばかりで このポエムは作られている 気高さと寛容  希望と慎ましさ 隠棲と洒脱 そして 愛 小夜鳴き鳥  

「翌檜物語」

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  「トオイ トオイ 山ノオクデ フカイ フカイ 雪ニウズモレテ  ツメタイ ツメタイ 雪ニツツマレテ ネムッテシマウノ イツカ」 冴子 「寒月ガカカレバ 君ヲシノブカナ  アシタカヤマノ フモトニ住マウ」  鮎太 「信子の言い方を以ってすると、多くの人間は大抵翌檜だが、大きくなって檜になる歴とした檜の子もその中に混じっている。ただそれの見分けがつきにくいことが問題だと言うのであった」 「誰が檜の子かしら。大澤さんかしら、鮎太さんかしら」 そんなことを信子はよく言った。」          井上 靖 『翌檜物語』   少年たちは皆檜にならんとする翌檜の木だ   そして年上の高貴で見目麗しき女性に憧れる   翌檜の木    Japanese elk horn ceder     多くの少年たちは翌檜のまま大人になる  そして仲間の内から出た檜を賞賛し支えるのだ              翌檜の木

 「うめ 六句」

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  忘るなよ 藪の中なる むめの花              松尾芭蕉   世ににほへ 梅花一枝の みそさざい            松尾芭蕉   しら梅や 誰がむかしより 垣の外            与謝蕪村   散るたびに 老ゆく梅の 木末かな            与謝蕪村   梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈            与謝蕪村   梅咲や せうじに猫の 影法師             小林一茶   梅さけど 鶯(うぐいす)なけど ひとり哉             小林一茶   この六句の中では、やはり蕪村の   梅が香の 立ちのぼりてや 月の暈 が好みである。   蕪村と言えば六五歳の時に   祇園の芸妓小糸に入れ込み、   門人から注意を受けて、   老いらくの恋を断ち切ったらしい。   老が恋 忘れんとすれば 時雨かな  蕪村   詳しくは葉室麟の『恋しぐれ』をお読み頂きたい。