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「木曽殿」

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  義仲の寝覚めの山か月悲し  芭蕉    木曽殿はただ一騎、粟津の松原へ駆け給ふ  そして鎌倉勢の矢に倒れる  義仲のどこに魅かれるかといえば  誰しもが最後は一人だ  という感慨ではないか       葉室 麟 『京都再見』 大坂の御堂前で亡くなった芭蕉が 指定した墓所は膳所の義仲寺であった 膳所の義仲寺を訪ねたが 何故義仲寺なのかは 判然としなかった やはり葉室麟の言うように 誰しもが最期はひとりだ との思いからであろうか 「無量寿経」に 「独生独死独去独来」とある  

「分去れ」

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  かの時に我がとらざりし分去れの     片への道はいずこ行きけむ       美智子上皇后 (平成7年) 友人から教えて貰った美智子上皇后の名歌 分去れの碑. 中山道と北国街道の分岐点の道標は 今も残っている いづくより満ち来しものか紺青の       空埋め春の光のうしほ          美智子さま 昭和37年、二十歳の時の歌である 実に天性の歌人であられる 美智子上皇后を 天皇家に迎い入れたことは 日本の誇りである もっとその御歌の素晴らしさは 国民に広く知らされるべきである

「勿忘草」

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  ふるさとを忘れな草の咲く頃に             成嶋瓢雨 忘れ草わが紐に付く香具山の        古りにし里を忘れむがため                  大伴 旅人 勿忘草は春の季語であり            花言葉は 「私を忘れないで」「誠の愛」「真実の友情」 英語では Forget-me-not フランス語では  Ne m'oublie pas ドイツ語では  Vergiss mein nicht である 国木田独歩の『忘れ得ぬ人々』ではないが 「忘れ得ぬことがら」の集大成が 我々の人生なのであろう  

「 令 」

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  「 初春令月 気淑風和 」       万葉集 巻五  初春の素晴らしい月  気は淑然として  風は和んでいる 大宰府の長官であった大伴旅人が 梅の宴会を催して その序文に書かれた言葉である 「令」は「靈」の当て字として用いられ 「神々しい」とか「素晴らしい」の 意味を有するらしい そのような時代を標榜していたのに 令和はコロナ禍に翻弄されている ポスト・コロナへの一筋の光を 早く持ちたいものだ 大宰府跡

「リベラル・アーツ」

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「この一高はリベラルアーツの学校である。リベラルアーツとは人類が残してきた芸術、文化、学問のことであり、ここはその偉大な遺産を次の世代に伝える   sacred place  ( 聖なる場所 ) だ。そこを占領などという vulger (世俗的)な目的のために使わせるわけにはいかない。」      学習院大学を折衝うに来たGHQの将校に対して、        当時の旧制第一高等学校の学長である安倍能成     (あべよししげ)が毅然として断った言葉。 *LIBERAL ARTS ギリシャ ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことである。具体的には文法学、修辞学、論理学、数論、幾何、天文学、音楽のこと。                                   

「神 話」

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銀色の砂子は 空間に氾濫して 私の眼の中に 清冽さを降り注ぐ   かつて私はオリュンポスの神々の如く 天翔ける存在になりたい と望んだ 神々は私にとって 崇高と永遠の具体であった 見えぬ手が大空より ぬっと突き出て 私を青暗いエーテルの中に ひきずり込んでくることを 私は夢みた   だが今の私はもう ギリシャ神話を解さない 天文学的な数の輝きに拘泥しない 私は只見詰める 私という天体で輝く星を   その星は遥かに遠く 天と地の創造される以前より 私の中で輝く日を 待ち受けていた   私は感じる 私は宇宙塵にすら劣らぬ程 無意味で卑小な 幾何学的点であるが この星を擁する私の天体は いかなる空間よりも 更に悠久なることを   私の為に残されていた神話は ひとつの星しか産みはしなかったが その星は 二次元の世界を超えたところからの ものであることを   自家撞着と二律背反の カオスの裡にあって 私はこのプラチナの恒星に 指針を求める   不安と喪失の雲が 私の天体を蔽わんとする時 私はこの精神的浄化の核である 煌めきに目を凝らす 幾千の宝石を鏤めた 大地の青い王冠より ただひとつの煌星を戴く私の天体の なんと清浄にして高邁なことよ   私は信ずる 時間と空間の彼岸で 胎まれた私の神話を   私は願う 有限な私の中で結晶された星の 未来永劫に輝くことを   かのイスラエルの瑞星が 東の国の賢者たちを ベトレヘムの馬小舎へと導いていった如く 私のこの星は 私の前に聖なる誕生への道を  照らし続けるだろう            詩集 『憧憬』より

「采女の袖」

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  采女の袖ふきかへす明日香風         都を遠みいたづらに吹く             志貴皇子 嘗てこの明日香に都のあった時 この地に吹く風は 美しい采女の袖を翻したものだ 今やその都も藤原京へと遷都し 明日香風は都遠しと ただいたずらに吹いている 石(いわ)ばしる垂水の上の早蕨の       萌えいずる春になりにけるかも           志貴皇子 志貴皇子は 芝基皇子とも呼ばれるが、 天智天皇の第七皇子として生まれ、 皇位とは関係のない文化人としての人生を送った。 しかし 天武-持統朝が称謙天皇の代で 途絶えてしまったときに、 天智系の復活として志貴皇子の皇子である 白壁王が光仁天皇として即位した。 そして志貴皇子は御春日宮天皇もしくは 田原天皇として追尊された。 今の天皇につながっておられる方である。 「采女の袖」の歌碑

「うつつ 二首」

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うつつには 逢ふよしもなし 夢(いめ)にだに  間なく見え君 恋ひに死ぬべし         詠人不知 万葉集2544」 万葉仮名 「寤者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死」  うつつ(現実)には 愛しい汝(いまし)と とても逢うすべがございませぬ それ故せめて夢の中にだに 間を空けずにお逢ひ下さいませ さもなくば、汝(いまし)への恋ひしさに 吾(あ)は儚くなるやも しれませぬ もう一つ「うつつ」で好きな和歌です。   逢ふと見て 現(うつつ)の甲斐は なけれども  儚きゆめぞ 命なりける            藤原顕輔(金葉和歌集) 恋しいあの方にやっとお逢い出来たと思ったら それはうつつのことではなく、夢であった   実際にはなかなかお逢い出来ないあの方だからこそ   恋する私にとってあの方の夢を見るとこは   儚いことであってもまさに命そのものとも言えるのだ 。  

『100万回生きたねこ』

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  佐野洋子の 『100万回生きたねこ』 この有名な絵本は 「愛の本源」を突いている 「愛すること」というのは 「本当に生きること」と 同じことなのかもしれない 「愛する他者のために生きること」は 「自分を愛すること」でもあろう 夏目漱石も述べている 「石仏に愛なし」