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「神 話」

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銀色の砂子は 空間に氾濫して 私の眼の中に 清冽さを降り注ぐ   かつて私はオリュンポスの神々の如く 天翔ける存在になりたい と望んだ 神々は私にとって 崇高と永遠の具体であった 見えぬ手が大空より ぬっと突き出て 私を青暗いエーテルの中に ひきずり込んでくることを 私は夢みた   だが今の私はもう ギリシャ神話を解さない 天文学的な数の輝きに拘泥しない 私は只見詰める 私という天体で輝く星を   その星は遥かに遠く 天と地の創造される以前より 私の中で輝く日を 待ち受けていた   私は感じる 私は宇宙塵にすら劣らぬ程 無意味で卑小な 幾何学的点であるが この星を擁する私の天体は いかなる空間よりも 更に悠久なることを   私の為に残されていた神話は ひとつの星しか産みはしなかったが その星は 二次元の世界を超えたところからの ものであることを   自家撞着と二律背反の カオスの裡にあって 私はこのプラチナの恒星に 指針を求める   不安と喪失の雲が 私の天体を蔽わんとする時 私はこの精神的浄化の核である 煌めきに目を凝らす 幾千の宝石を鏤めた 大地の青い王冠より ただひとつの煌星を戴く私の天体の なんと清浄にして高邁なことよ   私は信ずる 時間と空間の彼岸で 胎まれた私の神話を   私は願う 有限な私の中で結晶された星の 未来永劫に輝くことを   かのイスラエルの瑞星が 東の国の賢者たちを ベトレヘムの馬小舎へと導いていった如く 私のこの星は 私の前に聖なる誕生への道を  照らし続けるだろう            詩集 『憧憬』より

「采女の袖」

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  采女の袖ふきかへす明日香風         都を遠みいたづらに吹く             志貴皇子 嘗てこの明日香に都のあった時 この地に吹く風は 美しい采女の袖を翻したものだ 今やその都も藤原京へと遷都し 明日香風は都遠しと ただいたずらに吹いている 石(いわ)ばしる垂水の上の早蕨の       萌えいずる春になりにけるかも           志貴皇子 志貴皇子は 芝基皇子とも呼ばれるが、 天智天皇の第七皇子として生まれ、 皇位とは関係のない文化人としての人生を送った。 しかし 天武-持統朝が称謙天皇の代で 途絶えてしまったときに、 天智系の復活として志貴皇子の皇子である 白壁王が光仁天皇として即位した。 そして志貴皇子は御春日宮天皇もしくは 田原天皇として追尊された。 今の天皇につながっておられる方である。 「采女の袖」の歌碑

「うつつ 二首」

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うつつには 逢ふよしもなし 夢(いめ)にだに  間なく見え君 恋ひに死ぬべし         詠人不知 万葉集2544」 万葉仮名 「寤者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死」  うつつ(現実)には 愛しい汝(いまし)と とても逢うすべがございませぬ それ故せめて夢の中にだに 間を空けずにお逢ひ下さいませ さもなくば、汝(いまし)への恋ひしさに 吾(あ)は儚くなるやも しれませぬ もう一つ「うつつ」で好きな和歌です。   逢ふと見て 現(うつつ)の甲斐は なけれども  儚きゆめぞ 命なりける            藤原顕輔(金葉和歌集) 恋しいあの方にやっとお逢い出来たと思ったら それはうつつのことではなく、夢であった   実際にはなかなかお逢い出来ないあの方だからこそ   恋する私にとってあの方の夢を見るとこは   儚いことであってもまさに命そのものとも言えるのだ 。  

『100万回生きたねこ』

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  佐野洋子の 『100万回生きたねこ』 この有名な絵本は 「愛の本源」を突いている 「愛すること」というのは 「本当に生きること」と 同じことなのかもしれない 「愛する他者のために生きること」は 「自分を愛すること」でもあろう 夏目漱石も述べている 「石仏に愛なし」

「かたよらない心」

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 「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心                  高田好胤 」   奈良の薬師寺の管長だった高田好胤が 「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の 空の思想を判りやすく砕いて述べた言葉 バランスがよく 執着せず 自由な心 その境地に至るのは 至難の業で あろうが 生きがいに通じることで 自分お好きなことを 楽しむこと シンプルに 自然体で しなやかに 生きること 薬師寺 金堂

「草いろいろ」

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草いろいろ おのおの花の 手柄かな            芭蕉  美濃で「更科紀行」に出立するに際し 門人たちに別れの謝辞として 詠んだ句で、留別吟というそうである 色々な草草つまり門人たちがいるが それぞれに立派な句を詠んで 花を咲かせてくれている ありがたいことだという句で 季語は草の花であるそうだ 説明がなければ 単なる草花の句としか思えない ありきたりの言葉を使っているが こうした組み合わせは なかなかできない

「慥かな眼」

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「美」ということについて、これほど直截に、さわやかに語った人が他にあるだろうか。白洲さんの文章は、練達の剣士の剣舞を見ているような味があった。風に揺れる花のようだが、近寄ると切られるという気合がこもっていた。日本のすべての人に読んでいただきたい書物である。           河合隼雄 人間の「感受性」というものは、普通は年齢を重ねるとともに弱まってくるものと考えられています。「感受性」と「慥かな眼」の双方を死に至るまで維持することは至難の業でしょう。 しかし白洲正子で言えば、本物を見極める眼を磨きに磨いてきた結果、若い時とは比較できないような「慥かな眼」を持つようになったのだと思います。その「慥かな眼」と様々な経験の積み重ねで、白洲正子の感受性はなくなる直前迄とても豊かであったのではないかと思われます。