投稿

「うつつ 二首」

イメージ
うつつには 逢ふよしもなし 夢(いめ)にだに  間なく見え君 恋ひに死ぬべし         詠人不知 万葉集2544」 万葉仮名 「寤者 相縁毛無 夢谷 間無見君 戀尓可死」  うつつ(現実)には 愛しい汝(いまし)と とても逢うすべがございませぬ それ故せめて夢の中にだに 間を空けずにお逢ひ下さいませ さもなくば、汝(いまし)への恋ひしさに 吾(あ)は儚くなるやも しれませぬ もう一つ「うつつ」で好きな和歌です。   逢ふと見て 現(うつつ)の甲斐は なけれども  儚きゆめぞ 命なりける            藤原顕輔(金葉和歌集) 恋しいあの方にやっとお逢い出来たと思ったら それはうつつのことではなく、夢であった   実際にはなかなかお逢い出来ないあの方だからこそ   恋する私にとってあの方の夢を見るとこは   儚いことであってもまさに命そのものとも言えるのだ 。  

『100万回生きたねこ』

イメージ
  佐野洋子の 『100万回生きたねこ』 この有名な絵本は 「愛の本源」を突いている 「愛すること」というのは 「本当に生きること」と 同じことなのかもしれない 「愛する他者のために生きること」は 「自分を愛すること」でもあろう 夏目漱石も述べている 「石仏に愛なし」

「かたよらない心」

イメージ
 「かたよらない心 こだわらない心 とらわれない心                  高田好胤 」   奈良の薬師寺の管長だった高田好胤が 「般若心経(はんにゃしんぎょう)」の 空の思想を判りやすく砕いて述べた言葉 バランスがよく 執着せず 自由な心 その境地に至るのは 至難の業で あろうが 生きがいに通じることで 自分お好きなことを 楽しむこと シンプルに 自然体で しなやかに 生きること 薬師寺 金堂

「草いろいろ」

イメージ
草いろいろ おのおの花の 手柄かな            芭蕉  美濃で「更科紀行」に出立するに際し 門人たちに別れの謝辞として 詠んだ句で、留別吟というそうである 色々な草草つまり門人たちがいるが それぞれに立派な句を詠んで 花を咲かせてくれている ありがたいことだという句で 季語は草の花であるそうだ 説明がなければ 単なる草花の句としか思えない ありきたりの言葉を使っているが こうした組み合わせは なかなかできない

「慥かな眼」

イメージ
「美」ということについて、これほど直截に、さわやかに語った人が他にあるだろうか。白洲さんの文章は、練達の剣士の剣舞を見ているような味があった。風に揺れる花のようだが、近寄ると切られるという気合がこもっていた。日本のすべての人に読んでいただきたい書物である。           河合隼雄 人間の「感受性」というものは、普通は年齢を重ねるとともに弱まってくるものと考えられています。「感受性」と「慥かな眼」の双方を死に至るまで維持することは至難の業でしょう。 しかし白洲正子で言えば、本物を見極める眼を磨きに磨いてきた結果、若い時とは比較できないような「慥かな眼」を持つようになったのだと思います。その「慥かな眼」と様々な経験の積み重ねで、白洲正子の感受性はなくなる直前迄とても豊かであったのではないかと思われます。  

「虹のような言葉の織物」

イメージ
  「さらに美しい虹のような言葉の織物を紡ぎだす」ために 人間は相手の在り方や対応の仕方によって、様々にその在り方や対応を変えるものだと思う。つまり相手をする人間の数だけ、その人は色々な顔を持っているし、色々な人間性を表面に表わすのではなかろうか。太鼓が打ち方によって様々に鳴るように、人間も相手のパーソナリティによって、様々な応え方、響き方をするように思うのである。それ故にこそ、今までの自分になかったような打ち方をしてくれる、人間的に魅力のある人との出会いを、人間という存在は待っているのかもしれない。その邂逅した相手によって、さらに美しい澄んだ響きを鳴らすために。少し気取っていえば、「さらに美しい虹のような言葉の織物を紡ぎだす」ために。 幻の「辻が花」

「美の特徴の四原則」

イメージ
  「美の特徴の四原則」 1 )自分を越えたものであること、憧れ、 2 )初めて見たという驚き、意外性   3 )生命力を与える、生きていて良かったと思う感動   4 )他人にその感動を伝えたくなる             ギリシャ叙事詩『オデッセイア』より この『オデッセイア』の 「美の特徴の四原則」は 千住博の『ルノワールは無邪気に微笑む』 という本に 出ていました。 美と憧れと生命力と感動のつながりの、 良く判る言葉です メトロポリタン美術館のモネの『睡蓮』