「沖の石の讃岐」
わが袖は塩干に見えぬ沖の石の
人こそしらねかはくまもなし
二条院讃岐
常神半島にはもう一つ有名な島がある。それは百人一首で有名な「沖の石の讃岐」の上述の和歌である。
この島というより岩島は、神子より塩坂の方へ戻る九十九折りの岬のあたりから見えるが、この辺りが二条院讃岐の父であった源三位頼政の所領であり、讃岐もこの若狭へ訪れているらしい。
源三位頼政と言えば鵺退治で有名であるが、保元の乱と平治の乱を勝ち抜き、平氏が政治を専横する中で、源氏としては初めて三位まで官位を上り詰め、源氏の長老となっていたが、後白河天皇の皇子、以仁王の乱で以仁王に付き敗退して、宇治の平等院で討ち死にをした。歌人としても名を残しており、私の好きな歌に下記がある。
花咲かば告げよといひし花守の
来る音すなり馬に鞍おけ
源三位頼政
若狭の沖の石
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